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【知道中国 504回】 一〇・十二・三〇
――苛政は虎よりも猛く、言論は鉛の銃弾より苛烈だ
『充分発揮筆杆子的戦闘作用』(上海人民出版社 1970年)
「鉄砲から政権が生まれる」とは毛沢東の遺した至言だが、この本を一読すれば、毛沢東にとって「鉄砲」とは弾丸が飛び出す鉄砲だけではなく「筆杆子」、つまり筆記道具をも指していることが解ろうというものだ。確かに鉛の弾丸は人を容易く殺すことができる。だが筆杆子から飛び出す言論という銃弾もまた、確実に人を殺す。いや、ジリジリと時間をかけるだけに、こちらの方が残忍・卑劣だろう。文革時、「資本主義の道を歩む悔い改めない実権派」「中国のフルシチョフ」と非難された劉少奇の命を奪ったのは鉛の銃弾ではなく、次から次へと手を変え品を変え延々とに繰り返される言論による攻撃だったはず。
紅衛兵の故なき悪罵、怒涛のように押し寄せる故なき非難の大合唱の場に引きずり出された時、国家主席としての自尊心も一生を革命捧げてきたという矜持も一切が吹き飛んでしまう。心の支えを失った時、劉少奇は生きたまま死んでいた。それが毛の狙いだった。
この本の劈頭を飾るのは、中国を代表する革命的メディアとして文革時に猛威を振るった2紙1誌――共産党機関紙「人民日報」、解放軍機関紙「解放軍報」、最高理論雑誌「紅旗」――の編集部連名による「メディア戦線の大革命を徹底的に推し進めよ」と題した論文、いや過激なアジテーションだ。
先ず「新聞、印刷物、放送、通信社を含むメディア事業は、悉く階級闘争の道具である」と切り出し、「その宣伝力は民衆の思想感情と政治の方向に影響を与え続ける。プロレタリア階級とブルジョワ階級の間のメディアという陣地の指導権をめぐっての激越な闘争は、プロレタリア階級とブルジョワ階級の間の、思想戦線における生死を賭けた闘いである」と続けた後、メディアに関する劉少奇の過去の発言を例示しながら、それらが毛沢東に反対し、資本主義復活を企む陰謀の一環であることを激しく糾弾してみせる。
たとえば「外国の記者は客観・真実・公正な報道を強調している。客観・真実・公正な報道は彼らの目指すところだ。我われが敢えて客観・真実・公正な報道を目指さず、単に自らの立場だけを強調したなら、我われの報道は主観主義に陥り、一方的に過ぎてしまう」との劉少奇の発言に対し、「骨の髄からの外国の奴隷」「“外国”のブルジョワ階級の記者に対しての全面降伏であり、とどのつまりはプロレタリア階級の報道機関に“彼らのスローガン”を全面的に持ち込もうとするものだ」と激しく、そして厳しく糾弾する。
要するに「メディアは階級性、党派性を持つ。階級を超越した“客観的報道”など金輪際ありえない。ブルジョワ階級の新聞は人民を騙し、自らの階級の罪悪に満ちた統治を維持するために万策を弄してでも是非を逆転させ、白を黒と誤魔化し、客観的事実を歪曲し、ゆえなく革命人民を侮辱するものでしかない」ということになるわけだ。
こういった考えに基づき、如何に筆杆子を振るって毛沢東・革命・プロレタリア階級に反対する邪悪な勢力と戦い勝利してきたかの実例が、数多く示されている。「土記者」と呼ばれる農民通信員の報告もあり、当時の世相を知るうえで興味深いが、共産党政権が現在もなお「人民を騙し、自らの階級の罪悪に満ちた統治を維持するために万策を弄してでも是非を逆転させ、白を黒と誤魔化し、客観的事実を歪曲」するためにメディア部門に絶対的な影響力を保持しなければならないワケが判るはず。狂気の筆杆子こそ凶器だ。 《QED》
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