【知道中国 507回】        一一・一・初五

     ――慎ましやかな時代もありました・・・ほんの一瞬ですがネ

      『整数』(中国数学会上海分会中学数学研究委員会 新知識出版社 1956年)

 この本が出版された56年9月前後に起きた大事件を改めて振り返ってみると、2月にソ連でフルシチョフによるスターリン批判報告が秘密裏に行われ、東ヨーロッパでは反共産党暴動が6月のポーランド、10月のハンガリーと連続して発生した。中国国内に目を転ずると、毛沢東は4月に「百花斉放 百家争鳴」を掲げ言論の自由化を提唱し、年末までには農村では高級農業合作社化、都市では私営企業の国有・国営化が完了し、社会主義への道を一歩踏み出したところだった。

 スターリン批判は激越な中ソ対立の遠因となり、2つの反共産党暴動はソ連による東欧への強烈は締め付けを招き、「百花斉放 百家争鳴」は激しい共産党批判を巻き起こしたことで反転攻勢に転じた毛沢東によって、遂には過酷で無慈悲な反右派闘争の幕が切って落とされることになり、農村と都市における大きな変動は全国各地に飢饉を起こし大量の餓死者を生むことになる大躍進政策への第一歩だった。

 そのような時代のなかで、「ソ連の先進的経験を学習し、教師が教学の質を積極的に高めることを手助けするため、現在の高校と中学での教学における実際の需要に基づいて」出版されたのが、この本である。「序言」に拠れば、代数、幾何、三角関数などをテーマに次々に出版する計画とのこと。どうやら、この『整数』は中国数学会上海分会中学数学研究委員会の手になる叢書の第1号になるらしい。

 この本は「一 自然整数」「二 整数加法」「三 整数減法」「四 整数乗法」「五 整数除法」「六 整数的整除法」で構成され、自然数の説明からはじまり四則計算を「ソ連の先進的経験」に則って判り易く、淡々と解説しているだけ。文革時の全ての出版物に横溢していた『毛主席語録』からの引用もなければ、プロレタリアのプの字も見当たらない。だから文革時の出版物に慣れ親しんだ立場からすれば、些か拍子ぬけ。寂しくもあり、物足りなくもあるが、それだけ50年代半ばまでは建国を成し遂げた清新な思いが残り、朝鮮戦争処理にも目鼻がつき、共産党もまた慎重に国造りを進め、社会主義先進国のソ連に対する信頼も篤かった。いいかえるなら、まだ毛沢東も権力を完全に掌握していたわけではなく独裁者としては“仮免中”であり、“赤い皇帝”として振る舞うだけのカリスマ性にも胆力にも欠けていたということだろう。

 それにしても不思議なのが、スターリン批判への対応である。後に全面戦争一歩手前の国境軍事衝突にまでエスカレートすることになる激しい中ソ対立の火種となったスターリン批判を深刻に受け止めていたなら、数学教師向けの解説書とはいえ、かくもノー天気に「ソ連の先進的経験」の学習を薦めることはないはず。だとするなら、当時はスターリン批判の重大性に中国側が気づいていなかったともいえそうだ。あるいは秘密報告だっただけに、スターリン批判の詳細が中国側に伝わっていなかったのかも知れない。ならば、当時盛んに喧伝されていた中ソの「一枚岩の団結」という美辞麗句が単に美辞麗句に過ぎず、いいっ放し、やりっ放しで不都合は知らせない関係に近かったとも考えられる。

 この本は政治と学術が截然と分かれ、学術は政治に隷属せず、毛沢東思想の空しい熱気が全土を覆うことのなかった“束の間の幸運の時代”における記念碑といえそうだ。  《QED》