【知道中国 510回】       一一・一・仲一

      ――遠くの方から眺めているのが、なんたって無難です

      『中国歴代流民生活掠影』(池子華・朱琳 瀋陽出版社 2004年)

 歴代の史書や随筆の中から流民に関する部分を拾い集め、中国で恒常的に続き、現代にも繋がる流民という現象を詳細に論じている。学術書でもあるが、日本人が知らない中国社会の実相と中国人の生態を知る上で面白い読み物といえるだろう。

 著者は「『流』とは流亡、流浪、流動の意味」であり「『民』とは黄土にへばりつき、背中を空に向け、生まれてから死ぬまでお天道様を拝むことなく、雀の涙ほどの食糧のために土と悪戦苦闘を続ける農民」と定義する。つまり流民とは、故郷を捨て、行き抜くために流亡、流浪、流動する農民を指す。

 古来の数多の記録から流民現象の発生の背景として、著者は次の4点を挙げる。

 第1:農地を喪失し帰るべき所を失った農民。これが古今を通じ最も基本的な流民発生の背景だ。地主、官僚、貴族、商人、高利貸しなどが権力や財力で農民の土地を兼併すると農民は土地を失い、結果として、①流民、②小作⇒流民、③半自作農⇒流民、④半自作農⇒小作⇒流民となるのが、歴史的に見られる流民の一般的な4パターン。

 第2:天災や戦争などの人災の果てに生きる道を求め故郷を捨て、結果として流民化。なんせ紀元前206年から1936年の2142年の間に5150回も自然災害が起こっている。そのうえに度重なる王朝交代劇が加わるわけだから、流民が頻繁に発生したとしても当然だ。 

 第3:故郷を捨て、乞食生活に生きる道を求めて四方八方にでかけて流民化。「恒産なく、恒業なく、乞を行い生存を図る男女を丐(こじき)という。世界の列邦(くにぐに)に皆有るものの、我が国のみ多い」(『清稗類鈔』)と自認している。たぶん間違いないだろう。

 第4:市場経済の波が農村に押し寄せ農民が維持してきた自給自足生活を破綻させる一方、近代化の過程で都市が大量の労働力を吸収する結果、農民の農村離れ、つまり流民化を加速させる。まさに現代中国で爆発的に進行する都市化現象によって起きている民工潮が、それだ。都市で最底辺の生活を強いられながら肉体労働に現金収入の道を求める農民を現在は農民工などと規定しているが、明確に「現代の流民」と呼ぶべきだ。かつて都市に流れ込んだ流民は猫の額ほどの広さであれ、故郷に土地を残していた。だから帰るべき場所があった。だが昨今では、故郷の土地を手放して流民化している農民工も少なくないとか。つまり彼らは、すでに最後の拠り所である帰るべき土地を失ってしまっている。

 かくして流民は生き抜くため、匪賊、強盗、売春、乞食、旅芸人・・・なんでもござれ、である。そこで奇妙なことが起こる。たとえば泥棒の場合、「棚賊」「釣釣賊」「底賊」「灯花賊」「露水賊」「調眼賊」「落台賊」「折子賊」「疙瘩賊」「簽賊」「皮皮賊」「闖賊」「摘金賊」「撿賊」「抓街」「剪綹」「調包」「望山牯子」「舵把子」「翻高頭」「開天窓」「排塞賊」などと、構成人数、使う道具、盗む金品、金額、狙う場所や時間によって細分化され、「各々が一門(領分)を守り、混雑せず、師有りて伝える」。それというのも、他の領分を侵さないことで互いに生き抜こう、これを今風にいえば強盗業界の「ワーキング・シェアー」だ。

 華僑の世界では同郷出身者で特定業種を独占し、他郷出身者の領分を侵さないことで共に生き抜くカラクリを業縁というが、中国では泥棒の世界も業縁によって動いているのだ。

 先ず生き抜く。何が何でも、どんな手段でも誰が何といおうと。如何に後ろ指を指され、バカにされ、足蹴にされようと、ともかくも生き抜く。これを無告の民という。  《QED》