【知道中国 513回】        一一・一・仲七

    ――「これが中国だ」とはいいますが・・・それにしても、いやはや

    『血色中国』(蘇明 自由文化出版社 2008年)


 著者は実直で小心な研究者。政府系研究機関に勤務している。父親が共産党の幹部だったこともあり、それなりの地位を与えられ優雅な生活を送っていた。ある時、同僚で謹厳な研究者の阿聡から研究成果を密かに聞かされる。1949年の建国時の人口は4.7億人で知識人は5百万人。38年後は3倍近い12.1億にまで増えたが、知識人は1千万人に満たない上に、そのうちの百万は獄中だ。完全な文盲が3億人で、教育水準が小学校1,2年生程度は3億人ほど。耕地は建国時から3億畝ほど減って13億畝前後。86年に獄舎に繋がれたままの囚人は1千万人超だが、その70%は正規の裁判を受けてはいない――「毛沢東は救いの星で、共産党の恩情は天より広い」と素直に信じていた筆者にとって衝撃だった。

 熱血漢の阿聡は天安門広場での民主化運動に参加する。やがて事件勃発。阿聡の消息を尋ねて天安門へ。「その人の顔の半分はなく、頭蓋骨の半分はなかった。血、肉、砕けた骨、脳漿が交じり合った赤いべとべとした液体が地面を覆っていた。残る半分は変形し、その人の生前の顔形を推測することは不可能だ。いうまでもなく、彼の頭部はマグダム弾で射抜かれていたのだ」――目に飛び込んできた光景に、著者は慄き立ち竦むばかり。

 天安門で見た惨状が頭から離れない。被害者たちへの同情と政府当局への批判が、ついつい家庭でも職場でも話の端々に。そんな彼に父親は、「腹を割って話すが、共産党は黒社会に生きるヤクザのようなものなんだ。お前をこうしようと考えて、お前がそうしなかったら、遅かれ早かれお前に厄介なことが起きる。災難が降りかかるぞ」「いいか共産党の政治というものは、実に汚いもの。無原則なんだ」と厳しく忠告する。

 やがて職場が民主派に同情的で政府当局に批判的に過ぎるということで、解放軍が乗り込んできて著者は窮地に立たされる。父親の戒めもムダだった。民主派との嫌疑を掛けられた著者は逮捕を免れるため、家庭を捨てて香港に逃亡する。そこに「以前、お前に共産党は無道の土匪だということをいっておかなかったかい。間違いではなかったろう」と書かれた父親からの手紙が届く。著者は香港で逮捕され広州に護送されたが、「広東人が唯一知っていることは、カネ。それ以外に関心なんてあるわけがない」。カネを使って逃亡を果たすが、今度は私服公安に逮捕されてしまう。やはり「公安局は巨大な黒社会だ。ホンモノの黒社会より10倍以上もワルだ。いま、なぜ黒社会の勢力は大きくなる一方なのか。それは職員が手酷いワルだからだ。黒社会と公安局は同じ穴のムジナだ」った。

 凄絶・陰惨を極める拷問の痛みに呻吟する著者に向かって、同房の1人が「文革後、人々の心は壊れちゃったんです。誰も心意気や道徳など口にしません。昨夜、ヤツらがあなたにどんな酷いことをしたかは・・・。でも、とやかく考えないこと。災難だったと受け止め、何とか心を平静に保つべきです。それこそが、真の漢(おとこ)です」と呟き、諭す。

 2ヶ月の地獄のような日々の後、著者は逃亡に成功する。カンボジアに辿り着き、タイを経てラオスへ。やがてヨーロッパ経由でカナダへと逃れる。

 文革から天安門事件へと続く中国社会の市井の変貌を背景に、知識人が辿った数奇で悲惨な体験が生々しく綴られているだけに、600頁近い分量も一気に読める。著者が生きてきた環境は、話半分としても想像を絶する。禍々しく、凄まじく、おぞましく、苛烈だ。  《QED》