【知道中国 515回】       一一・一・念一

      ――それは判っています。問題は、その先です

      『不要做中國人的孩子』(余杰 勞改基金会 2008年)

 この本を出版した勞改基金会(The Laogai Research Foundation)の本部はワシントンに置かれ、活動の中心は創設者で在米人権活動家で知られる呉弘達(ハリー・ウー)。勞改(Laogai)は労働を通じての囚人の再教育を進めることを意味する労働改造の略称で、思想改造と労働を結合させ生産を促すというのが中国政府の説明だが、これはタテマエに過ぎない。勞改基金会は服役者への過酷な強制労働であり共産党政権による人権蹂躙の象徴ともいわれる労改の悲惨な実態を内外に向けて暴きだし、人権抑圧の阻止を目指す。

 1973年に四川で生まれ92年に北京大学に入学し、2000年に文学修士号を取得した著者は、中国式に表現すると「敢于説真話」といった作風。日本風に言うなら超過激な直言居士といったところか。この本は著者の「敢于説真話」を勞改基金会が後押しして出版されたわけだから、内容は想像できるだろう。

 巻頭に置かれた「不要做中國人的孩子(中国の子供になりたくない)」では、08年5月の四川大地震で倒壊した校舎の下敷きになり犠牲となった子供たちを悼む。彼らは地震で命を落としたのではない。地方幹部と彼らと癒着し手抜き工事を進めた業者たち――子供たちを殺した凡ての権力やら金権の亡者を告発しつつ、一転して天安門の犠牲者に及び、四川の地震にせよ天安門にせよ、子供達が権力に扼殺されたことに変わりはないと告発する。

 「指導者たちの子供はとうの昔に海外留学に出かけてしまった。主席の子供、総理の子供、省長の子供、市長の子供、県長の子供、郷長の子供・・・彼らは中国の子供ではない」。じつは「中国の子供は災害、冷淡な権力、でたらめな行政、愚鈍な社会に殺され、殺戮される」。その様は「まるで収穫の秋を前に倒れる稲穂」のようだ。だが、それよりも幾層倍も哀しいのは、そんな子供たちの母親だろう。「中国の母親は子供を失った後、世間の讒言に耐え、権力のデタラメを我慢し、社会からの屈辱を耐え忍ばなければならない。なぜ、そうまでに責め苛むんだ」。かくて著者は声低く憤る。「中国の子供の母親には、なるな」著者の怒りの筆先は、一転して権力の頂点に位置する胡錦濤とその周辺に向う。

 「大部分の海外の主要なメディアや内外の著名な知識分子は」、「胡の権力基盤が固まった暁には、改革の道に大胆に歩み出す」とみていた。だが、「私からいわせてもらうなら、それは天よりも大きな誤解だ」。鄧小平に気に入られた彼が抱く「西側世界に対する敵意は江澤民の比ではない。国際世論など歯牙にもかけず、重大事件処理に当たっては断固としてやり抜く鉄の意思の持ち主だ」。 彼の行動原理は終始一貫して共産党にある。温家宝は胡錦濤の従順な茶坊主に過ぎず、中国は胡を含む9人の中央政治局常務委員に牛耳られている。彼らは髪形・服装・歩き方、さらには笑いそうで笑わない顔形までそっくりの「9人の小人」であり、徹底した党官僚だ。ポスト胡が約束されたも同然の習近平にしても、胡と同じで冷血な鉄面皮だ。彼もまた胡錦濤と同じ道を歩まざるをえない、と断言 公安当局からの様々な妨害を撥ね退け権力と暴利を貪る者を告発し、「誰もが真の公民意識に目覚め、立ちあがって自らの権利を守った暁に、中国は真っ当に変化する」と声高らかに主張する。だが、そこまでは著者ならずとも指摘できる。問題は「真の公民意識に目覚め」る道を、少なからざる人民が自ら放棄している点にもあるように思えるのだ。  《QED》