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~川柳~
《走去出 中国方式 全球化》⇒《飛び出され 世界の人々 大困り》
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【知道中国 522回】 一一・二・初四
――等しく貧しく慎ましく・・・憧れだけが生きる糧だった
『顕微鏡的日記』(呂肖君 少年児童出版社 1953年)
この本は1953年7月の朝鮮戦争休戦協定調印から4ヵ月後に出版されているが、朝鮮戦争にも中朝両国の「血で結ばれた友誼」とは全く関係はない。世界最強のアメリカ帝国主義と朝鮮半島で戦いながら、一方で国家建設を推し進める――“清新の息吹”に横溢していただろう当時の社会情況を想起させるに十分な内容だ。
「私がこの科学機器展示館にやってきて、もう数日が過ぎた」との一句ではじまるこの本は、顕微鏡である「私」の日記を通じて子供たちに公共衛生の大切さを判り易く教えようというものだ。
「ポチャポチャっと太って可愛らしい珍珍チャン」は展示館の学芸員のお嬢チャン。イラストでは髪の毛は西洋人風にタップリとウエーブが掛かっていて、目元パッチリで可愛らしいワンピース。ついでにいうなら、珍珍チャンの同級生の男子児童もボッチャン刈り。ストライブの入ったスポーツシャツに短い半ズボン。足元をみれば、ハイソックスにスニーカー。とてもじゃないが、当時の中国ではお目にかかれそうにないほどにモダンだ。豊かな西欧世界への淡い憧れが見て取れ、なんとも微笑ましい。文革時代なら否も応もなく、この本は西洋ブルジョワ文化に媚び諂うものと糾弾されたに違いない。
さて珍珍チャンは毎週土曜日の午後、展示館にやってきて、「これ、なあに」「あれ、なあに」と展示されている最新科学機器について館員に質問する。今日は「私」を指して、「これ、なあに」。すると若い館員が「これは照妖鏡だよ」。珍珍チャンは、興味深げに目を真ん丸くしながら「照妖鏡って、以前にお話してくれた照妖鏡なの」。「そうだよ。照妖鏡さえあったら、どんな妖精だって姿を現すんだ」
妖精なんかいないという珍珍チャンに、館員は「いいかい、空気の中にだって妖精はいるんだよ。君が食べる果物の皮にも、沸騰させてない生水の中にも妖精は必ずいるんだ。それからゴミ箱、排水溝、ハエの足・・・汚い所は汚いほど妖精はたくさんいるんだよ」
以下、妖精とは人体に害を及ぼす病原菌のことであり、照妖鏡、つまり顕微鏡を使って病原菌を見つけ公衆衛生を確立することが国造りに繋がっていることを教え諭す。
ジフテリア、天然痘、コレラ、下痢などについて解説しているが、これらの病気が当時の国民病だったということだろう。ところで、病気対策のための歌が納められているが、当時の中国社会を知るうえで興味深い内容なので紹介しておきたい。
先ずは下痢:「下痢の予防だ、下痢予防。先ずはハエを退治して。食べ物、布巾でよく拭いて。箸や茶碗はキレイに洗う。食事の前は石鹸手洗い。下痢の細菌、人殺し。まだまだいるよ、下痢の菌。果物、野菜、生水に。下痢の細菌、数知れず。野菜はしっかり火を通す。生水、ちゃんと煮立たせて。果物、消毒しましょうね」
次いで伝染病:「伝染病をみつけたら、患者を早く病院へ、人に伝染させないように。服や道具の病菌を、直ちに消毒しましょうよ。馬桶、川に流さない。病菌、川に撒いちゃダメ。聞いたら励行しましょうよ。菌を消毒、健康に、生産競争頑張ろう」。因みに馬桶とは家の中に置く便所代わり桶。それに溜まった家族の糞尿を川に捨てるのが翌朝の日課。
不衛生ではあるが、非劇の大躍進も凄惨な文革もない懐かしく長閑な時代だった。《QED》
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