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樋泉克夫教授コラム
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~川柳~
《好辛苦 最後一刻 站起来》⇒《貧乏人 堪忍袋も 破けます》
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【知道中国 530回】 一一・二・念
――「強いられた無知」に抗すればこそ・・・
『居危思安』(呂国軍 南冥書屋 1982年)
シンガポールのラッフルズ・ホテル裏手に百勝楼と名づけられた古いショッピング・モールがあるが、そこの一階角に位置する古本屋で、この本を見つけた。この古本屋には毛沢東の肖像画、陶器製の毛沢東の胸像、毛沢東バッチ、紅衛兵の腕章、紅小兵の紅いスカーフなどの文革グッズが所狭しと並べられてあり、暇潰しには最高の場所だ。暇潰しついでに、この本の奥付に記された住所を頼りに出版社を捜してみたが、一帯は再開発され、洒落た小さなレストランになっていた。南冥書屋という名前など聞いたことがない。以前は文房具屋さんだったはず、と店員。この本を出版するためだけに作られた出版社だろう。売るのではなく、記録として残しておきたいという著者の執念が伝わってくるようだ。
著者の自己紹介に拠れば、89年の天安門事件に出くわし、かねてから共産党に対し抱いていた「1つの考えが万能であるわけがない」「政治的自由が認められない社会主義は社会主義の名に値しない」との疑問が膨らみ、やがて中国での将来に絶望し、雲南省の辺境からラオスに脱出し、メコン川を渡り友人を頼ってバンコクのチャイナタウンを経てマレーシアのイポーに落ち着いたとのこと。この本を出版した当時は無職・無収入で、不動産業者の友人の世話になっていた。その後の著者の人生は、当然のように不明だ。
著者は、「中国の為政者は人民が彼らに疑問を抱き、彼らの行動に懐疑の目を向けたとしても、それを表明しない限り人民を生かしておく。1949年の建国によって人民を帝国主義と封建勢力の奴隷から解放したと自賛するが、70年代末の開放政策によって人民は再び奴隷に戻されてしまった。どのように悪辣な手段を弄しようと、共産党を否定しさえしなければ、野蛮な資本家のビジネスを許す。共産党は、カネ持ちと共に人民から富を奪う。広大な中国はカネ儲けのための戦場となってしまった。流されるのは人民の膏血。長い歴史と文化を誇った中国は、この地上から消滅する危機にある。共産党とカネ持ちは人民の骨をしゃぶり尽くすまで、“中国殺し”を止めないだろう」と、怒りを込めて書き出す。
「こうなった最大の原因は共産党が歴史を人民支配の道具にしているからだ」という。「共産主義建設という偉大な事業における最も偉大な事業は『新しい人民』の創造にある」という大前提から出発する共産党の歴史は、それゆえに過去の凡ての出来事が極く必然的で、かつ不可避的に「一つの疑問の余地なき輝かしき歴史」に到るように編まれている。共産党が官許した歴史には、ヒトが持つはずの内的葛藤も、懊悩も、苦渋も、試行錯誤も、不条理も、悲劇も、ましてや喜劇すらもない。歴史に対する解釈は1つ。「共産党式ハッピーエンド」のみ。中国では「歴史解釈は共産党の専管事項であり、常に百パーセント政治そのもの」であり、歴史が本来的に持つ多義性・多様性など許されるわけがない。
このようにして共産党の掲げる「唯一の歴史」が人民に与えられ、人民は、その歴史が指し示す枠の内側での行動のみ許される。この枠に疑問を持ち、この枠に挑み、この枠から飛び出ようとする人民の前に立ちはだかるのが刑法なのだ。「人民は心の中、脳みその中にまで、共産党の刑法に縛られている」。そこで「刑法は敵だ」という主張が導き出される。
「共産党による人民支配の道具としての歴史を拒絶すれば、必ずや党は行き詰る」と熱く語る。著者のいう「強いられた無知」の自覚こそが、「歴史を拒絶す」るための第一歩だろう。だが大多数の人民は「強いられた無知」に安住し、時の流れに身を任すノミ。《QED》
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