樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《『毛語録』 活学活用 没有用》⇒《毛思想 時代遅れの スグレもの》

  【知道中国 533回】        一一・二・念六  

      ――それを、ご都合主義というんです。

      『一切反動派都是尊孔派』(吉林大学歴史系編写 人民出版社 1974年) 

 批林批孔運動の真っ只中に出版された本だけあって、表紙を繰ると最初に目に飛び込んでくるのが、「一切の悔い改めない頑固な党派の思想は、すべからく、こんな特徴を持っている。つまり、彼らの思想は社会の実践から乖離し、それゆえに彼らは社会という車の先頭に立って社会を導くことなでできはしない。後ろからくっついて行って社会という車の動きが速すぎることを恨み、車を後ろ向きに進ませようとし、引っくり返るだけだ」「凡そ時代錯誤の行動は結果として、元来の企図とは反するものである。古今東西、例外はない」との『毛主席語録』からの引用である。

 この本は、前漢の董仲舒からはじまり唐の韓愈、宋の朱子、明の王守仁まで、時代を代表する儒学界の巨人を凡て「時代錯誤の唯心論者」「孔子のみを尊敬し、時代の進歩に逆らった」として徹底的に批判した後、近代史上で大きな影響力を発揮した人物を「中国の近代史上の反動派」と一纏めにバッサリと斬って捨てる。

 19世紀半ばに起こった太平天国を軍事制圧して清朝の崩壊を救った曽国藩は、「口に孔孟の教えを讃えながら、太平天国に結集した農民革命家を惨殺した」。清朝中枢の満洲貴族に政権維持の意思を断念させた袁世凱は、「孔子を祀り天を祭って帝制の復活を目論んだ」。張勲と康有為は、「孔子を讃え清朝復辟というブザマな猿芝居を演じた」。蒋介石は、「孔子を尊び儒教経典を持ち上げたくたばり損ない」だ。いいたい放題だ。
 次いで歴代共産党指導者を「凡て機会主義路線の頭目であり、孔子ヤローを尊敬するグズ」と嘲り罵倒してみせる。

 初期指導者の陳独秀(1879~1942)は「孔子ヤローの価値を改めて再評価せよなどと寝言をぬかし」た。20年代末期の武装暴動路線を指揮し、最後は国民党に逮捕・銃殺された瞿秋白(1988~1935)は儒教の中心理念である「忠恕」を持ち出して革命を売り渡した。モスクワ留学組の代表であり、スターリンの意向を柱とした革命路線を推し進め、共産党の抗日民族統一戦線政策を方向づけながら毛沢東とソリの合わず共産党中央から排除された王明(1904~74)は「孔子・孟子の唱える仁・愛・礼・義を後生大事に掲げて民族投降主義に堕した」。毛沢東が現実を無視して猪突猛進した大躍進に拠って引き起こされた惨状を修復し共産党への国民的支持回復に務めた劉少奇(1898~1969)は「『修養を論ず』などという黒い著作をバラ撒き、孔孟の道という毒汁を浸透させた」。最後に一時は「毛主席の親密な戦友」と呼ばれ、党の規約に「毛主席の後継者」とまで定められた林彪(1906~71)は「根っからの孔子ヤローの信徒」であり、「孔孟の反動処世哲学に基づく大陰謀・詭計を策謀し、挙句の果てに毛主席の率いる中国を転覆させようとした」らしい。

 ――そこで疑問だ。現在、北京政府が世界各地に建設している孔子学院なる教育機関、さらに孔子平和賞に冠せられた「孔子」と、この本が指摘する「一切の反動派」が執心した「孔子」とが同じ孔子だとしたら、孔子学院の実態は反動派学院、孔子平和賞は反動派平和賞ということになるはず。まあ何とも奇妙な話だが、彼らにすれば「ウソと屁理屈なんぞは朝メシ前。いくらでもヒネクリ出せます」といったところう。だが担がれたり罵倒されたりでは、さすがの孔子サマもビックリだろう。本当にお疲れサマで~す。《QED》