樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《去何処 找到辺境 頗暗澹》⇒《探しても 何処にもいません 救い主》

  【知道中国 538回】            一一・三・初八

     ――凡ての子供の脳みそに打ち込まれた虚偽のクサビ

     『原始人怎様戦天闘地』(《原始人怎様戦天闘地》編写組 上海人民出版社 1975年)
  
 この本は毛沢東の死のちょうど1年前に当たる75年9月に出版されている。おそらく当時は猖獗を極めた文革にも人民は嫌気がさし、一種の厭戦気分が横溢していたに違いない。そこで四人組は、この本で子供たちに悪知恵を授け、ヒト暴れさせようとしたとも思える。

 当然のように、巻頭を飾る『毛主席語録』だが、この本では「人類の歴史は、つまり必然の王国から自由の王国へと不断に進む歴史である。この歴史は完結することはない。階級の存在する社会においては、階級闘争は決して完結はしない。階級の存在しない社会では新と旧、正しさと誤りの間の戦いは永遠に完結するわけはない。生産闘争と科学実験の場においては、とどのつまり人類は絶え間なく発展し、自然界もまた発展し、ある水準に留まり続けることはない。それゆえ、人類というものは経験を絶え間なく総括することで、発見があり、発明があり、創造があり、前進があるわけだ」が置かれている。

 編者の説明によれば、この本は「社会発展史常識・少年読物」シリーズとしては『人是従那裡来的』に次ぐ2冊目で、「原始社会はどのような社会か」「原始人はなぜ狩猟をしたのか」「原始社会での分配は、なぜ平等でなければならなかったのか」「交換という行為はなぜ出現したのか」「私有制はなぜ生まれたのか」などの項目を立て、「社会の発展は主に社会内部の矛盾の発展に起因する」ことを分かり易く解説しようとしたもの・・・らしい。

 原始社会においては、誰もが社会の一員として社会を構成する人々と協力し、一定の生産関係を形作り、生産活動に取り組み、人類にとっての物質生活に関する問題の解決に当たってきた。だが「原始人が手にした必需品は自然界からの無償の贈り物などというのは、バカバカしい童話だ。こんな黄金時代は、有史以来、あったことなどなかった。生存や自然との闘いの困難は、原始人にとっては十分すぎるほどの重圧だった」(レーニン)。そこで人びとは力を合わせることとなる。かくて「このような原始類型の合作、あるいは集団による生産活動が生まれたのは、明らかに個人の力が極めて限られていた結果であり、生産活動を支える原料や道具の共有の結果ではありえない」(マルクス)そうだ。

 原始氏族社会では、「一貫して暴力で人びとを脅迫したり服従させたりするような暴力装置はありえず、我々が知ることの出来る当時の統治は、族長の持つ権威による」(レーニン)。ところが、である。「矛盾なきところに世界は存在しない」(毛沢東)。やがて長閑な原始士族社会は終わりを告げ、原始社会の後期になると氏族間で大規模な戦争が展開されるようになる。戦争こそは私有制度が生み出したものだ、という理屈が生まれる。

 「戦争とは私有財産と階級が生まれてすぐに始まり、階級と階級、民族と民族、国家と国家、政治集団と政治集団の間で一定段階に達した矛盾を解決する最高の闘争形式なのだ」(毛沢東)。人の認識というものは「主に物質的生産活動に由来するものであり、自然界の現象・性質・規律性、人と自然界の関係を徐々に理解するようになった」(毛沢東)とか。

 このように「偉大な革命の導き手」たちの“珠玉の理論”を散りばめながら詳細な解説が続き、「階級は本来的には存在してはいけないもの」だという思想を、子供たちの脳裏に刷り込もうとしたというわけだが、この本出版から30数年。中国では貧富の階級格差は拡大するばかり。ならば貧しき階級に属さざるをえず、現状に矛盾を感じている皆さん、毛沢東の至言に従って「矛盾を解決する最高の闘争形式」でも盛大にやらかしますか。《QED》