樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《頗暗澹 幹部家庭 頗亮亮》⇒《満ち足りて 幹部の家族 春爛漫》

  【知道中国 539回】            一一・三・十

     ――いやはや何とも・・・曰くいい難いなァ           

     『禁毒教育通俗読本』(劉咸岳主編 広西教育出版社 1996年)

 中国の書籍の奥付が日本のそれと違うのは著者、出版社、出版年などに加え、使用した文字数、さらに出版した冊数までもが記されている点だろう。この本には「53千字」の文字が使われ、初版は1966年6月で、1年後の76年6月に6刷。短時日のうちに版を重ねたものだと感心するが、驚くべきは650万冊という印刷数。超ベストセラーだ。単純に考えれば、それほどまでに膨大な読者から迎えられたということだろうが、メディアが共産党によって徹底して統制されている情況から考えれば、この本を多くの人民に読ませ広範な「禁毒教育」を進めようという当局の意図こそが650万冊を社会に送り出した違いない。

 ところで古来、中国では「吃(食べ)」「喝(飲み)」「嫖(買い)」「賭(賭ける)」に加え、「去聴戯(しばい)」と「抽大烟(アヘン)」が人生最高の愉悦とされていた。もちろん、どれもが財産を湯水の如く注ぎ込んでも、その道は極め難い。だから、なにもかも忘れてのめり込んでしまう。その代表が「嫖」「賭」と「抽大烟」で、かりに“奥義“を極めたとしても、財布はスッカラカン。体はボロボロで、ほとんど廃人。「文明社会のゴミに堕し」(「序」)、人生を台無しにすることは必定。

 だから「新中国が誕生するや、人民政府は全力で社会の汚濁を洗浄した。かつて我われは満天下に向け胸を張って『中国は麻薬、賭博、売春を廃絶した』と宣言したが、改革開放に踏み切り外国に向かって開かれ、経済建設と外国との交流が進むに従い、瞬く間に麻薬、賭博、売春が息を吹き返し、ある地区では勢いを復活し蔓延するようになった。我われは麻薬、賭博、黄禍(ばいしゅん)の猖獗を極める挑戦に、真正面から向き合わなければならない。一瞬の猶予もなく、その災禍を防ぐべきなのだ」(「序」)と、高らかに宣言することになる。

 ここでいう「ある地区」こそ、ヴェトナムやラオスと国境を接する広西チワン族自治区。ここは昔から、隣の雲南省と共にアヘンの巨大な生産地であり消費地だった。

 この「序」では、「瞬く間に麻薬、賭博、売春が息を吹き返し」た要因を「経済建設と外国との交流」に求めているが、それは詭弁というもの。「人民政府は全力で社会の汚濁を洗浄した」と宣言したが、毛沢東の時代でも、それは密かに続いていたに違いない。一度染まった悪癖は簡単に忘れられない。「経済建設と外国との交流」によってカネ周りがよくなり外国からの“ブツ”が手に入り易くなったからこそ、広い範囲で爆発的に広がった。つまり毛沢東時代にはウラの社会でひっそりと行われていた「麻薬、賭博、黄禍」が、経済大国への過程でオモテの社会で大手を振って歩き始めたというのが、実態に近いはずだ。

 かくして「差し迫った現実に基づき、中共広西チワン族自治区委員会宣伝部、自治区人民政府弁公庁、公安庁、広西禁毒委員会、広西教育出版社などの組織が協力し」て、この本に加え『禁黄教育通俗読本』『禁賭教育通俗読本』の「三禁叢書」を出版したのだが・・・。
麻薬の吸引は廃人化の第一歩であり、売買は社会の経済体系を破壊する犯罪だと、数限りない実例を挙げて説明・説得に努めているが、「嫖」「賭」「抽大烟」を必ずしも罪悪視しない伝統的民族性を根源的に改めない限り、「三禁」は徒労に終わる運命にあるだろう。

 「3つの禍を取り除かねば、国家に寧日なし」(「序」)の宣言が空々しい限りだ。《QED》