樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《頗亮亮 太子閨女 在外国》⇒《権力者 坊チャン嬢チャン 海外に》

  【知道中国 540回】            一一・三・仲二

     ――かつての生きた智慧を、いまこそ思い返せ

    『支那事變 戰跡の栞(上・中・下)』(陸軍畫報社 陸軍恤兵部 昭和十三年)

 “一銭五厘の兵士”たちは、大陸の戦場を目指し玄界灘を進む船の中で「嗚呼、あの顔であの声で手柄頼むと妻や子が・・・」と耳の奥に残る家族の歌声を思い出し、あるいは大陸での行軍の最中に「万朶の桜か・・・」と口ずさみ、この本を手にしたに違いない。

 「支那事變」勃発の翌年(1938年)に出版されたこの本は、「今次事變の終局目的たる日支の眞の提携と共榮の上に、東洋永遠の平和を確立せんが爲には、將兵各自並びに全國民が、支那を徹底的に認識することが最も最大の任務である。(中略)かくして縦に支那の歴史を語り、横に支那の地理を傳へ、更にその上に動く支那と、そこに戰はれたる皇軍聖戰の眞相に徹せしめ以って今次事變に関する認識と將来の覺悟とを完からしめんとするものである」との「刊行趣旨」に基づいて編集されている。「北支中支一帯に亙る戰鬪記録を始めとし、一般支那事情に就ては地理歴史、民情風俗より産業經濟等の廣汎なる事項に亙」って「努めて詳細懇切」に記述され、「更に附録として支那の國民性等をも添へてある」だけでなく、「戰地に於ける携帯繙讀に便ならしむる爲、小型ポケット用」に作られているゆえに、文庫本より些か小ぶりの体裁。1冊が300頁強で、3冊揃いの箱入り。
 
 河北・蒙疆地区・山東・山西(上巻)、江蘇・浙江・河南・安徽(中巻)、江西・湖北・湖南・広東・広西・雲南・貴州・陝西(下巻)と、各地における戦闘情況や各作戦の意義が判り易く解説され、加えて兵士の息抜き用だろうか、各地の民情や名勝古跡や紹介されている。海外旅行ガイドブックの『地球の歩き方』を真似るなら、さながら“帝国陸軍兵士用大陸戦地の歩き方”といえそうだ。

 たとえば、この本が出版された年の4月から7月にかけて江蘇・山東・安徽・河南省を舞台に展開された「徐州大會戰」の項では、地図上に彼我の陣形・装備情況を示しながら、「會戰前の一般態勢」「我が軍の作戰構想」「行動開始とその經戦過」「徐州會戰の意義」と具体的で簡潔明瞭に解説した後、「徐州作戰後の大追撃戰」を続け、さらに日本軍の追撃を阻止すべく蒋介石が命じた黄河決壊作戦にまで言及し、「皇軍聖戰の眞相」を説く。

 加えて作戦展開地域の観光地、たとえば上海の部分を見ると、競馬・競犬・ハイアライ・映画館・劇場・遊技場からレストランまで紹介されている。はたして「チョコレート・ショップ、ビアンキ、マルセル等は殊によく日本人に知られたレストランで、位置もよく、晝食や午後のお茶などには氣輕で氣持のよいところである」などの記述を目にした兵士らは、戦塵を離れ、上海で「氣輕で氣持のよい」暫しの一刻を過ごし、鋭気を養ったのか。

 この本の眼目は、じつは「附録として」「添へ」られた、当時を代表する「支那通」の1人である中野江漢(1889~1950)の「支那の話」にあるように思う。彼は「支那は不可解でな」く、「支那を計るには、『支那の尺度』」と、「支那を觀るには、『支那の眼鏡』を以ってすればよい」と断じた。さらに「支那の國民性」として、「支那では『孝』が人倫の本」であり、「個人主義、自己享樂、文弱」「宣傳、無主義、妥協、雷同」、「弄策、嘘僞、猜疑、忘恩」、「僞勢、没法子、宿命、轉生」、「自尊、保守、形式、虚禮」が彼らの行動を律している。かくて「彼らの特性を熟知して置いて『決して氣を許さず』油斷なく、乘ぜられぬやう應對せねばならぬことを、くれぐれも注意してこの稿を終わ」っている。

 個人主義、宣伝、弄策、偽勢、自尊、虚禮・・・これが「彼らの特性」らしい。《QED》