樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《頗流行 結駟連騎 山塞貨》⇒《中国じゃ パクリはリッパな 文化です》

  【知道中国 549回】            一一・三・三〇

     ――良い子の皆さん、この手のヨタ話を信じてはいけませんよ

     『一堆土豆』(任美運改編 人民美術出版社 1973年)

 土豆とはジャガイモのこと。この本は、「一堆土豆」と「一本工作手冊」の2つの話から構成されている。まあ、早い話が毛沢東のよい子たちが、毛沢東の有難い教えのままに親切を尽くし大人たちからお褒めのことばを戴くという他愛もない、いいかえると、どうしようもなく愚にもつかない文革版勧善物語だ・・・といってしまったら身も蓋もないが、そうとしかいいようがないから致し方ない。
 李春山クンは、襟元を赤いスカーフできりっと決めた紅小兵だ。毛沢東の教えのままに、学校から家に戻るとブタの餌になる草を刈って、人民公社のブタ飼育を手伝っている。籠を背に草刈に出かける李クンの背中に、稲刈り中の母親が「家に帰ったら土豆を用意しといてね。晩御飯のおかずの材料にするから」と声を掛けた。

 籠に草をいっぱい詰めて家路に急ぐ李クンは、道端に落ちているいくつもの土豆をみつけた。「ははーん、トラックに積み忘れたな。公社にとって貴重な財産だ。後で届けよう」。李クンは家に帰ると土豆を台所の土間に置いた足で、草を持って人民公社の養豚小屋へ。李クンは勢いよく草を食べるブタを飽きることなく眺めていた。

 家に帰って台所をみると、あの土豆が見当たらない。横では母親が料理した土豆が美味しそうな香りを漂わせている。「母さん、ダメだよ」と、一部始終を話す。すると母親は、「人民公社を熱愛し、党を熱愛する。革命の伝統を、私ら決して忘れない。家の土豆を持って、早く人民公社に返しておいで」煌々と耀く月明かりの道を、土豆を持った李クンは胸を張って人民公社へ。「一山の土豆は一片の熱い心。革命の伝統を永遠に発揚しよう」

 次いで「一本工作手冊」だが、同じく放課後の帰宅時の話。李クンが農村の紅小兵なら、こちらの主人公は街の紅小兵の向群クンだ。

 家路に急ぐ向クンの目の前の道路で、小さい子供たちがボール遊びをしている。と、プップーと警笛が鳴る。「端に避けろよ、避けるんだ」と向クンが大声を挙げるや否や、おじさんがサッと道路に飛び出し子供を小脇に抱えて助けた。走り去るトラック。おじさんは子供に注意しなきゃダメだよと声を掛け、人ごみの中に消えた。

 感心している向クンの目が道路に落ちている一冊の本を認めた。「あれ、なんだろう。そうか、きっと、あの親切なおじさんの大切な本だろう」。おじさんに渡したくても、その場におじさんはいない。表紙を開いてみると「電機廠 董育明」としか書いてない。その街には電機廠は数多くあり、名前だけでは持ち主のおじさんを探しようがない。色々思案したが名案が浮かばない。そこで先生に「社会主義の英雄の素晴らしい模範を学び、どんな大きな困難があろうとも決心は揺るぐことがない」と打ち明けると、「そうですよ。毛主席の紅小兵というものは、口にしたことは最後までやり抜くのよ」と励ましながら電話を掛け捲り、おじさんの働く電機廠を探してくれた。

 向クンは自転車で工場へ。途中、急に雨。大切な本が濡れないようにと、着ていたシャツを脱いで包んだ。びしょ濡れの子供が差し出す本を受け取り、おじさんは「キミこそ本当の毛主席の紅小兵だ。行動で毛主席の偉大な教えを実践したんだから」・・・だとさ。

 長閑でバカバカしく、取ってつけたような革命的夢物語。読後感は特にナシ。《QED》