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樋泉克夫教授コラム
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~川柳~
《拍鋪的 社会主義 我不信》⇒《社会主義 なんのかんのと 世を騙る》
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【知道中国 553回】 一一・四・初七
――社会主義の幼い苗の、“その後”は御存知ですよね・・・
『幼苗 小学生作文選』(広西中小学教材編写組編 広西人民出版社 1973年)
表紙を開くと、「我われの教育方針は、教育を受ける者が徳育、知育、体育などの凡ての面で成長を遂げ、社会主義の覚悟を持った文化的労働者となるように努めることだ」「学生も、こうでなければならない。学業を主としながら、別のことも学ぶ。つまり文を学ぶだけではなく、工業も、農業も、軍事も学ばなければならないし、ブルジョワ階級をも批判しなければならない」との『毛主席語録』からの引用が掲げられている。
この本は「小学生作文選」のサブタイトルからも判るように、広西チワン自治区各地の小学生の作文を集め、文法上・修辞上の誤りを訂正した後、評語を付したものだ。収録されているのは、「聴老紅軍講革命故事(元紅軍兵士から革命の話を聞く)」「祭掃烈士墓(烈士の墓を清め祭る)」「雷鋒精神鼓舞着我(雷鋒精神がボクを鼓舞する)」「可愛的家郷(愛すべき故里)」「教媽媽学文化(母さんに勉強を教える)」など18作品。題名からも、「徳育、知育、体育などの凡ての面で成長を遂げ、社会主義の覚悟を持った文化的労働者とな」ろうとする幼苗、つまり子供らの健気なまでの学習態度が浮かんでくるではないか。
そこで「工業も、農業も、軍事も学ばなければならないし、ブルジョワ階級をも批判しなければならない」ことを求める“毛沢東式教育”の一端を覗いてみよう。
先ず3年生の沈明クンの「聴老紅軍講革命故事」。学校の革命委員会が招いた老紅軍兵士が革命戦争での苦労を小学生に聞かせる。激戦に継ぐ激戦で食糧が尽きた。「兵隊サンたちの食べ物といえば、牛の皮、野草などで生活は困難を極めました」。飲まず食わずの1週間が過ぎ、戦友は昏倒する。彼は自分が携行していた僅かな食糧と水を差し出しながら、「『キミが食べろ。俺はもうダメだ。キミは食べて毛主席に従って革命を成し遂げ、中国全土を解放してくれ』というや息を引き取った。光栄なる犠牲です」
これが老紅軍兵士が子供たちに聞かせた主な内容だが、当然のように沈明クンは感動し、「老紅軍兵士の話でやっと判りました。ボクらの今日の幸せな生活は、数えられないほどの革命先烈の尊い血の犠牲の上に成り立っているんです。ボクらはマルクス・レーニンのと毛主席の本を一生懸命に学び、努力して社会主義文化の課程を身につけ、同級生としっかりと団結し、労働を熱烈に愛し、プロレタリア階級の革命事業の後継者にとなり、偉大なる祖国の紅色の山河を永遠に変色させないよう誓います」と、健気にも決意表明する。
これに対し先生の評語は、「老紅軍兵士が語る革命の苦労話を通し、革命の伝統を受け継ぎ発揚させようとする作者の決心が見事に表現され、プロレタリア革命事業の後継者になろうという堅忍不抜の志が現れています。文章が表す思想は健康的であり、段落の切り替えも的確であり、表現は具体的で生き生きとしています。ただ、時に記述が不明確であり、単語と単語の結びつきがしっくりとしていません」
この本が出版される5年前の68年、広西での文革運動の渦中で“敵”と名指しされた人々が殺され、焼かれ、食べられた事件が発生したと、天安門事件を機にアメリカに去った作家の鄭義は伝える。だが、はたして沈明クンら幼苗は成長の過程で、その驚愕の事実を知ることはあっただろうか。かりに毛沢東式教育が貫徹されていたなら、今頃、中国には「工業も、農業も、軍事も学」び「ブルジョワ階級をも批判」する「社会主義の覚悟を持った文化的労働者」が溢れているはずだが・・・。“思想的絶滅危惧種”は絶滅したようだ。《QED》
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