樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《黄泉路 文化革命 開玩笑》⇒《「ひとしさ」は 忘れ去られて 捨てられて》

  【知道中国 557回】            一一・四・仲五

     ――松本クンに訓ふる公開状

 いまから40年ほど昔、若き日の北一輝を語り論壇に颯爽とデビューした若者がいた。それまでになかった斬新な視点と若々しくポレミークな文体とが渾然一体化され、折からの北一輝ブームに一石を投じたことで、一躍論壇の寵児に駆けのぼる。以来今日まで、北一輝を語り、日本浪漫派を説き、アジアと日本を結んだ志士たちの思想的営為を尋ね、近代化の波に呑みこまれ消えざるをえなかったアジアと日本の無告の民たちの存念を求め、万巻の書を著し、思想史家兼思想家として赫々たる評価を得るに到る。もっとも一時は竹内好の茶坊主、稚児、いや小姓然とした振る舞いも・・・若気の至り。まッ、いっか。
 江藤淳逝き、司馬遼太郎亡き今日、この2人を足したような立場に立ち、時に“大勲位”とサシで対談しアジアを論じ、世界を語り、国家の行く末を危惧するが如き大言論を獅子吼する。まあ、ここまでは順調な人生といっておこう。それが松本健一クン。

 彼の思想的立ち位置は「右」でもなく、かといって「左」でもなく。じつは、よく判らない。そんな時は処女作に立ち還れというから、第一作の北一輝を40数年ぶりに読み返してみたが、これがなんだか皆目不明。まあ、精々が北一輝オタク・・・まッ、いっか。

 ところが、である。そんな松本がこともあろうに菅政権の内閣参与に納まっていた。参与だが、森進一の唱う「お袋さんよ」の「さんよ」ではない。レッキとした政治職公務員の内閣参与である。師匠の橋川文三存命なら、「アッパレ我が弟子」とはいわない・・・な。

 4月13日、菅首相とサシでの時間を過ごした後、松本は記者団に向かって「『福島原発周辺は、これから10年、20年は人が住めない』と首相が語った」と。口を滑らせたのか、それとも何か意図した発言か。これを某通信社が「無責任極まりない菅首相」といった論調で報じたことで大混乱。菅無責任政治の被害者でもある福島県飯館村村長は、「一国の首相にあるまじき無慈悲・無責任極まりない発言」と地団駄を踏み、悔し涙を流した。

 事態の推移に慌てた松本は、「首相に電話で確認したが、首相は発言していない」と打消しに四苦八苦。言ったか、言わないか。なにも電話で確認するまでもないはずだ。首相官邸で記者団に問われた菅は立ち止まって威儀を正してならともかく、歩きながら「言ってません」と。非礼極まりない態度。おいおい、じゃあ誰が言ったんだよ。無責任で思いつきでノー天気極まりない日頃の言動から考えて、菅が言ったと考えざるを得ないだろうに。

 結局、松本は「私が言った」とい言い出すことで事態収拾を図ろうとしたのだろうが、それにしても、昨今の政界の貧相極まりない言語空間、政治家が口にすることばの薄っぺらさを慨嘆していたはずの松本だが、一連のオタオタ振りを見せつけられたら幻滅だ。これを天にツバする、あるいは墓穴を掘るといいませんか。

 確かに《ドン菅力》が旺盛の菅ではある。だが、相手はオンボロ・ツギハギとはいえ巨大与党の代表で、日本国の内閣総理大臣ではないか。その人物との話の内容を簡単に外部に漏らすとは、軽率との謗りは免れない。だが、こうも考えられる。国家非常時に厚顔無恥にも菅は辞任しない。誰もが辞めろと声を挙げるが口先だけ。これでは日本は沈没への急坂を転がり落ちるしかない。ならば乃公いでずんば、である。我が身を捨てて、菅と刺し違え――これこそ松本の真意だ。きっと、そうだ。そうに違いない。いや、そうとでも考えないと、このバカバカしさには耐えられそうにない。嗚呼、大奸は忠に似たり。《QED》