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樋泉克夫教授コラム
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~川柳~
《無別路 天天吶喊 老天爺》⇒《共産党 眼中になし 人民は》
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【知道中国563回】 一一・四・念七
――暗雲は、紺碧の空の向こうに
『飛機会干些什麼』(劉子吉 少年児童出版社 1965年)
表紙の色は淡い青。おそらく紺碧の空に見立てたのだろう。上半分には大型旅客機、ジェット戦闘機、農薬散布中の複葉機、さらには真紅のヘリコプター。下半分には模型の飛行機やグライダーを手にはしゃぐ子供たち。誰の首にも、少年先鋒隊を示す真紅のスカーフが巻かれている。男の子は白いシャツに濃紺の半ズボンで、女の子は揃って長いお下げに中国風ブラウス。時代の明かるさが横溢している絵柄だが・・・1年後には文革が始まる。
最初の頁の下半分には背中姿の女の子とこちらを向いた2人の男の子――花壇に座る3人を前に、男の子が立っている。その向こうには模型飛行機で遊ぶ子供たち。誰もが真紅のネッカチーフを首に。遠景は、大きな入道雲が浮かぶ青い碧い大空。 「飛行機は天空を飛んでゆく。まるで一羽の雄々しい鷹のようだ。見るほどに、より高く、より遠く。なんと素晴らしいことだろう。飛行機って何をするものなの、僕が話して聞かせよう」と、立った男の子が説明をはじめる。
毎日、数え切れないほどの数の飛行機が高い山を飛び越え、白い雲をつき抜けて、上海から昆明、広州から北京へと、旅客、貨物、郵便をいっぱい載せて、限りなく広い大空を飛んでいるんだ。日照りの時なんか、空から薬剤を散布して雨を降らすんだよ。広い田や畑だって一気に肥料を噴霧すれば、どんな害虫だってイチコロさ。豊作間違いなしなんだ。農村で収穫用の農機が欲しかったら、いつだって飛行機が運んでくれるさ。正確な地図作り、国家防衛、森林保護、海難事故救助、遠隔辺境への物資輸送だって、飛行機なら簡単だよ――と、飛行機の果たす様々な役割が微笑ましいイラストと共に判り易く説明され、この本の最後は「大空を飛ぶ飛行機は、雄々しい鷹のようだ。祖国を建設し、国の守りを固め、なんとステキだ。飛行機は、いったいどんなことが出来るのか。みんな一生懸命考え聞かせてください」で閉じられている。
大躍進の後遺症も癒え、毛沢東が目指した急進的社会主義化路線を廃し、一定限度の個人の自由と私有財産を認めることで労働意欲を刺激し個人的生活レベルを向上させ、国家経済を活性化させようという劉少奇・鄧小平路線が光芒を放っていた時期に出版されたことを考えれば、この本の持つ何とも微笑ましくもノホホンとした雰囲気に納得してしまう。
ここで、この本出版前後の毛沢東派の動きだが、64年8月、エスカレートするヴェトナム戦争に米軍の中国侵攻を危惧すると同時に北方から軍事圧力を強めるソ連を警戒し、毛沢東は南北からの敵を想定した戦争準備を提起する。10月に初の核実験に成功し、翌65年1月になると毛沢東は初めて「党内の資本主義への道を歩む実権派」に言及。9月にアメリカの北ヴェトナム爆撃(北爆)が本格化し、9月には林彪が「人民戦争勝利万歳」と題する論文を発表し、劉少奇派が提起した解放軍の近代化とソ連を含む反米統一戦線結成の動きを牽制した。毛沢東軍事思想に従い、解放軍は断固として人民戦争路線を歩むべし、というのだ。11月、後に四人組の一員として名を馳せる姚文元が「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」を発表し文革の導火線に火を点けた。翌66年8月、毛沢東と林彪は全国から百万人の紅衛兵を天安門広場に集め気勢を挙げる――劉少奇打倒への準備は着々と進んでいた。
おそらく天安門広場に集まった紅衛兵なかには、この本を読み、大空への憧れを抱いた少年・少女もいただろう。文革前夜に出版されたこの本は、飽くまでも明るく屈託のない内容に満ちているだけに、劉少奇の末路の哀切を漂わせる。劉少奇、油断せり。《QED》
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