樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《好辛苦 四九十一 開頭頁》⇒《どたばたは あの日あの時 はじまった》

  【知道中国 566回】            一一・五・初三

      ――そして、誰もいなくなるはずだ・・・が

     『中国共産党第十次全国代表大会文件匯編』(人民出版社 1973年)

 党規約(中国共産党章程)で林彪を毛沢東の後継者に定め、毛沢東をして「勝利の大会」と総括せしめた第9回党大会から4年後の73年8月に開かれた第10回共産党大会の公式記録だ。両大会の間の71年秋に林彪事件が起こっているが、第10回大会は党として公式に林彪事件にケリをつけ、新態勢で毛沢東後継問題に対処すべく開催されたようだ。そこで林彪事件の勝ち組による「勝利の大会」ということになるが、同時に罪の一切を林彪に負わせるべく仕組まれた“共同謀議の大会”でもあった。死人に口なし、ということだ。

 党の最高権力を掌握する中央政治局常務委員会だが、この大会では序列順に毛沢東、王洪文、葉剣英、朱徳、李徳生、張春橋、周恩来、康生、董必武の9人が選ばれている。大会後、毛沢東路線を超過激化させることになる王、張、康ら四人組系の進出が目立つ。この人事構成を見るだけでも、毛沢東が四人組に後継を託そうとしていたといえそうだ。

 周恩来は最重要課題である政治報告を、「同志諸君、中国共産党第10回全国代表大会は、林彪半党集団を粉砕し、党第9回全国代表大会の路線は偉大なる勝利を遂げ、国内外の極めて良好な情勢下で開催された。私は中央委員会を代表し、第10回全国代表大会に報告する。その主な内容は、第9回大会の路線につき、林彪反党集団粉砕勝利につき、現下の形勢と任務につき、であります」と切り出し、「前途は光り輝くも、進むべき道は平坦ではない。我が党を挙げて団結し、全国各民族人民が団結し、決心し、犠牲を恐れず、万難を排除し、勝利を勝ち取ろう!/偉大なる、光栄ある、正しい中国共産党万歳!/マルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想万歳!/毛主席万歳、万々!」で締め括っている。内容は推して知るべし。絶対的に正しい毛主席の指導によって林彪一派の悪辣な企てを粉砕された。これからも「全国人民と世界人民の我われに対する希望に背かない」ために、毛主席の尊い教えをシッカリと守りましょう、ということ。

 政治局常務委員会人事と周恩来報告に拠る限り、この大会は林彪抹殺に成功した“勝ち組”による野合・妥協の産物であり、毛沢東後に照準を定めた暗闘の始まりでもあった。

 ところで林彪後継を書き込んだ第9大会党規約の改定に関する王洪文の報告には、「毛主席は『中国人は国際関係において、断固として、徹底的に、綺麗さっぱりと、全面的に大国主義を消滅させるべきだ』と説かれている。我が国は人口が多く、広大で豊かな稔りに恵まれている。我われは必ずや国家をして豊かで強くさせなければならないし、また富強にさせることは完全に可能なのだ。だが如何なる情況に在っても、我われは『覇権を称えない』という原則を断固として堅持すべきであり、超大国になってはならない」とある。また、新党規約第四条に「党員の革命への意志が衰退し、数次の教育を経ても改まらぬ場合は退党を勧告できる」とも、「資本主義への道を歩むことを死んでも悔い改めない実権派」は「綺麗さっぱりと党から排除し、再び入党することを許さず」ともある。

 この大会から38年が経過した現在、王洪文が説いたように富強への道を歩んでいるかに見えるが、共産党政権はなりふり構わず「超大国」を目指す一方、「資本主義への道を歩」みカネ儲けに狂奔するばかり。「革命への意志が衰退」は明らか。この大会で定めた規定が現在も厳格に適用されたなら、おそらく党員の大部分は「綺麗さっぱりと党から排除」され、共産党は地上から消滅しているはずだが・・・まあ難い事はヌキ、ということで。《QED》