樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《最重要 土地改革 全国化》⇒《地主から 巻き上げ配れ 農地(とち)と籾(タネ)》

  【知道中国 570回】            一一・五・仲一
 
     ――日本的中国人と中国的日本人・・・2人の“遺書”

     『この謎の巨人 中国』(金雄白 蒼洋社 昭和53年)

 著者は1940年に国民党に参加し国民党中央委員を務めながら、戦中の日本への協力姿勢を問われ45年に有期懲役・全資産没収処分を受け、共産党政権誕生翌年の50年に香港に亡命し、特派員として日本駐在の長かった老ジャーナリスト。訳者は1928年に瀋陽で「生まれてから十六歳までを中国で過ごし」、香港在住は「もうかれこれ二十年」の伊達政之。ついでながら、伊達の父親は小説『夕日と拳銃』のモデルとなった伊達順之助。その先は福井の松平春岳嶽、土佐の山内蓉堂、薩摩の島津斉彬と共に「幕末の四賢侯」の1人に数えられた四国宇和島藩藩主伊達宗城である。

 この本出版の翌月に中国は毛沢東路線から鄧小平主導の改革・開放路線へと大きく舵を切っている。だから、この本は「毛沢東時代の黄昏」を省みながら、「鄧小平時代の曙光」を感じつつ記されたともいえそうだ。

 先ず著者は「毛沢東が統治者の地位についたひとつの原因は、儒家伝統の勢力の無形の影響があった」とし、「中共に拠る大陸解放以後の、中国の政権組織の形式は、表面的には『民主集中制』の『プロレタリア専政』であるが、その特徴は中国の民衆が儒家思想の影響で形成された純朴・従順・服従性・保守性の特性と、帝王を最高の領袖として来た一般人民の観念を利用して、毛沢東を最高唯一の領袖とする中央集権国家に仕上げたことにある。中国は自由民主の伝統と経験を持ってないので、現在の専政的な政権組織の成立が容易だったのである」と、毛沢東の独裁政治が伝統中国の政治文化にドップリと漬かっていることを主張する。いわば旧も新もない。中国は一貫して中国でしかありえない、ということだろう。

 以上の観点に立ち、中国の現状を詳細に分析してみせる著者は、日本人が見せる「中国熱」「中国ブーム」は「日本人の感情からきており、日本人の理知から出発したものではない」とし、「表面的な現象と、一方的な宣伝から得たものしか持っていない」からこそ、日本人は性懲りも無く中国誤解を繰り返すのだと力説する。

 そして著者は「最後に質問を許していただきたい」と断って、「憲法上の一切の基本的人権を剥奪され」、共産党独裁政権が国民の生殺与奪の権を握って放さないような国家である中華人民共和国を、「それでもあなたは、あなたは――」と綴って、筆を擱く。 
この本の冒頭に著者と訳者は連名で「この一書を/わが敬愛する/すべての日本人に捧げる」と記し、訳者は「あとがき」で「この本の原文にふれて、私は金雄白氏の憂慮が、鮮明に自分のものと重なり合うものを感じた」と呟き、高熱に悩まされながらも翻訳作業を続けたと綴っている。この執念はどこから来るのか。伊達は不治の病と壮絶なる闘いを続けたが、出版からほどなくして鬼籍に入ってしまった。香港の若者に日本語を教えることで真の日中理解の道を模索していただけに、無念だったはずだ。日本に傾倒した中国人の著者と中国大陸に育まれた日本人の訳者――この本は著者・訳者という関係を超え、2人の共著と看做すべきであり、同時に両人から「わが敬愛する/すべての日本人に捧げ」られた遺書といえるだろう。70年代前半の香港に在って、凛々しく豪快に振舞いながらも繊細な気遣いをみせた伊達の謦咳に接すること長かっただけに、そう強く思うのだ。《QED》