樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《我不管 貴国応該 赴前線》⇒《スターリン 洞ヶ峠で 小休止》

  【知道中国 574回】            一一・五・仲九

     ――少年や少女を退屈させないために・・・

     『你追我逃 中年級体育游戯』(仇標 少年児童出版社 1957年)

 「この小冊子について」と題された著者の説明の日付は「1956年1月」で、出版は1年半後の57年7月。ということは、この本は毛沢東が「陰謀ではなく陽謀だ」と嘯いたといわれる百花斉放・百家争鳴運動から反右派闘争の時期に執筆・出版されたことになる。改めて断るまでもないが、出版の翌年には驚天動地の大躍進政策が華々しくはじまっている。

 著者によれば、「小学校の教師からいつも、遊びについての中学年用出版物が少ないと聞かされてきた。ならば、この方面で誰でもいいから努力してもらおうではないか。私がこの本を書こうと思い立ったのは、こんな雰囲気に背中を押されたからだ」とのこと。
 この本では、駆ける、飛び跳ねる、投げる、攀じ登る、バランスを取るといった5つの機能強化を図るべく全16種類の遊びが、準備、方法、規則、注意の4項目にわたって紹介されている。そこで、判り易そうな2種目を必要最小限の説明を加えながらみておこう。

 先ず書名になった「你追我逃(君が追いかけ、僕が逃げる)」は、
 ■準備:運動場に3から5歩の歩幅を明けて甲、乙2本の線を平行に引く。そこから15から20歩の歩幅が離れた場所に同じように平行線を引く。
 ■方法:背の高さ順に並び、奇数を甲隊、偶数を乙隊とし、それぞれが甲、乙の線より後方に下がって並ぶ。指導員(審判)の「跑(よーい、ドン)」の掛け声と共に甲隊はもう一方の甲の線を目掛けて走り出す。乙隊もスタートし前方を走る甲隊を捕まえる。これが前半戦。後半戦では甲隊は最初スタートした反対側(つまりゴールした側)の乙の線に、乙隊は甲の線に立ちスタート。今度は乙隊が逃げ、甲隊が追うことになる。捉まえた人数が多い隊が勝者となる。
 ■規則:①指導員が「跑」と声を掛ける前には走り出さないこと。②追いつかれて捉まえられた場合は正直に認めること。ウソをついてはいけない。
 ■注意:運動量が多いので、1回4分から8分とすること。

 次いで「拾球擲人(ボールを拾って人に投げつける)」は、小さなボールを2個用意して、鬼を真ん中に全員が円を描くように並ぶ。鬼は足元にボール2個を置き、座ったり、屈んだり、拍手したり、片足を挙げるなどの動作を3,4回繰り返す。頃合を見計らって指導員が「散開(逃げろ)」と声を掛けると、皆は鬼に背を向けて一斉に走り出す。と、鬼は左右量の手に1個ずつボールを持ち、片方ずつ各1回投げる。この場合、左右どちらが先でも構わないが、左右同時に投げてはいけない。当てられた人が交代して鬼になる。当たらなかった場合は鬼はボールを拾って、また円の中心に立ち、同じことを繰り返す。2回目も当たる人がいなかったら、鬼は唱うなり踊るなりの芸をして指導員が指名した次の鬼と交代する。注意としては、①「散開」の合図があった後に走り出し、鬼はボールを手にすること。②ボールを頭に当てないこと。頭に当たった場合は無効とする。

 まことに他愛のない「体育游戯」で、本来は残酷を好む子供が楽しめるわけがない。そこで退屈している子供たちのために、毛沢東はこの本出版9年後の1966年に「紅衛兵追実権派逃」やら「拾石擲実権派」など、子供好みの残酷極まりない「政治游戯」を思いつく。唯一のルールは、「革命無罪」。子供たちが狂喜乱舞したことはいうまでもなかった《QED》