樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《没弁法 我的宝貝 離開我》⇒《掌中の 珠は戦野に 砕かれて》

  【知道中国 577回】          一一・五・念五

     ――だから、どうだっていうんデス・・・

     『従考古資料中看商周奴隷社会的階級圧迫』(顧維勤 中華書局 1975年)

 この本は、「地下から出土した考古資料を通じて、読者に我が国奴隷社会の具体的情況の一端、ことに奴隷階級が強いられた圧迫と搾取の情況を紹介し」、「すべからく人類社会は絶えることなく不断に将来に向かって発展する。新しい社会制度は、必然的に旧い社会制度に打ち勝たなければならない」ことを熱く語る。

 だが、その一方で、冷静で客観的な装いを凝らした歴史記述の合間に、「右派日和見分子陳独秀」「革命陣営内部に身を潜めていた機会主義の頭目であり反革命修正主義分子で時代を逆戻りさせ、孔子を讃え国を売ろうとした陳独秀、瞿秋白、王明、劉少奇ら」「トロツキスト分子陳伯達」「ブルジョワ階級の野心家、陰謀家、両面派、叛徒、売国泥棒ヤロー林彪」などというハシタナイほどの罵詈雑言が、呆れるほど頻繁に飛び出しもする。なんとも奇妙な本と思うが、四人組が毛沢東の威光を背景に恣に権力を揮っていた時期の出版であることを思い起こせば、その奇妙さも納得できようというものだ。

 この本が口を極めて罵る陳独秀、瞿秋白、王明、劉少奇、陳伯達、林彪は、1921年の結党以来、共産党は毛沢東の正しい指導の下で一貫して正しく革命の道に邁進してきたという“毛沢東絶対無謬史観”からすれば、誰もが毛沢東に楯突いた断固として許し難い不倶戴天の敵であり、極悪非道の大反革命者であり、未来永劫に亘って人民の敵でなければならなかったのである。

 そこで、たとえば林彪に対しては、「林彪が建設を目指した『真の社会主義』とは、何と社会主義の新中国を半殖民地半封建の旧中国に変質させることである。林彪が口にした『迫害を受けた人』とは、既に打倒された地主、金持ち、反革命分子、破壊分子、右派、それに反革命修正主義分子のことでしかない。林彪は彼らの『解放』を目指し、毛主席指導の下で我が党・我が軍・我が国人民の手によって打倒された地主ブルジョワ階級に再び肩入れし、反革命修正主義分子を再登場させ、一握りの地主・金持ち・反革命分子・破壊分子・右派分子を焚き付けて革命的人民に反抗し、千百万(あまた)の共産党員と革命者の胴体から首を斬り落とそうとした。林彪の陰謀が達成されていたら、中国は直ちにソ連修正社会帝国主義の植民地になり、数限りない労働人民は再び苦痛を嘗め罪を受け、2500年昔の奴隷社会における奴隷と同じように圧迫され搾取され、こき使われ、牛馬のような生活を強いられただろう。このような歴史の逆転は、解放された中国人民にとって甘んじて受けられるものではない」と執念深く過激に煽り、躍起になって読者の“注意力”を刺激する。

 だが、つい数年前まで「毛主席の親密な戦友」と全土を挙げて熱狂的に讃え、共産党の規約で毛沢東の後継者と定められたにもかかわらず、その林彪が目指した「真の社会主義」「迫害を受けた人」「解放」が、この本が指摘するようにどうしようもなく反社会主義的だったなどと、いったい誰が信じただろうか。この文章のなかの林彪の2文字を劉少奇に置き換えれば、66年から69年にかけての文革最盛期に全土に示された劉少奇批判の告発文と大差のないことに気づけばこそ、林彪批判にみられる荒唐無稽なバカバカしさ、胡散臭さに、人民は鼻白む思いを抱いたに違いない。「イイカゲンにしてくれ」と。

 権力闘争のために歴史をネジ曲げることは歴史への冒涜であり小賢しい猿知恵と思えるが、彼ら民族の歴史書が勝者の勝利宣言であることを考えれば、これもアリ、だな。《QED》