樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《去何処 最後整你 彭徳懐》⇒《この恨み 胸の奥処で 燃え滾る》

  【知道中国579回】            一一・五・念九

     ――立て、全人民よ! 熱烈にバアさんに学べ!

     『向優秀的共産党員学習』(上海人民出版社 1970年) 

 この本が出版された時点では、毛沢東と林彪の間の権力を巡る闘いは、まだ表面化してはいない。暗闘の段階だったろう。公式には「資本主義の道を歩む劉少奇」を打倒し、前年に開かれた第9回共産党大会で林彪は毛沢東の後継者の地位を確保している。まさに毛=林派によって導かれた文革路線は順風満帆で勇壮闊達。向かうところ敵なし。加えるに、この本の出版元は超過激路線を突っ走った江青派の拠点もあった上海の人民出版社。ならば、書名を見ただけでも、この本の内容が容易に予想できるはず。

 冒頭に『毛主席語録』からの「私はこういったスローガンに賛成だ。つまり『一に苦を恐れず、二に死を恐れず』」という一節が引かれたこの本には、毛沢東の教えを荒唐無稽なまでに謹厳励行した優秀無類な13人の共産党員の“超感動的な物語”が納められている。

 なにはともあれ、「一に苦を恐れず、二に死を恐れない共産主義の戦士」「革命の車をしっかりと引っ張り、一気に共産主義に突き進め」「プロレタリア階級の先鋒戦士 三大革命運動の闘将」「党にとっての好き娘」「一生を党の指示のままに捧げる」「一心不乱に社会主義の道を歩く鉄の意思」「元気溌剌の共産党員」「人民のために死して後已む」「プロレタリア教育革命に英雄的に献身した先鋒戦士」「毛主席への忠義は最高の党性」「毛主席に無限の忠誠を誓う良き党員」「社会主義の商業陣地を死守する先鋒戦士」「天目山上の青松」と、13人の「優秀な共産党員」を讃える報告の表題を並べただけでも、自らの人生を、滅私奉公ならぬ滅私奉毛に燃やし尽くした凄まじくも神々しいい姿が行間から立ち現れてくるのを、否が応でも感ぜざるをえない。たとえば「元気溌剌の共産党員」は・・・。

 この時、彼女は71歳で地区革命委員会委員を務め、その上級に位置する県革命委員会副主任でもある。革命委員会とは、文革派の攻撃によって崩壊した共産党組織に代わって打ち立てられた権力機構のこと。つまり彼女は、地域の大権を掌握しているエライさん。そんじょそこらのバアさんとは違うのである。

 1954年春、彼女は毛沢東の農業集団化・共同化の呼び掛けに応じて近在の貧農らと農業生産合作社を組織した。だが「叛徒、内なる敵、労働匪賊の劉少奇が資本主義の復辟を目論み」、悪辣な手段を使って合作社破壊に乗り出す。そこでバアさん、「解放前、ワシらは地主や富農に虐め尽くされ、絞り取られ、まるで牛や馬のような惨めな生活じゃった。毛主席サマがワシらを集団化の光明大道にお導きくだすったんじゃい。合作社は死んでも解散せん。毛主席がお導きなさる社会主義の路線を断固として進むんじゃ」と立ち上がる。

 以来、一貫不惑で「毛沢東命」。やがて文革ともなると、「彼女は必ずや毛主席を守り尽くすと念じ、劉少奇ら走資派に資本主義の復辟なんぞは死んでもさせるものかと、堅く心に誓」う。来る夜もくる夜も眠い眼をこすりながら、解放前の辛酸を舐め尽くした生活を憶い起こし、「共産党員が困難に出会った時は」と、貧農の先頭に立って闘いを続ける。

 バアさんの物語は、「一心を革命に、一心を人民のためにという紅い心に二心はない。毛沢東思想を活学活用すべく、彼女のさらなる努力は続く。より確実で大きな歩幅で、彼女は継続革命の大道を勇猛果敢に前進する」の一文で閉じられている。

 苦境にたじろがず逆境にうろたえず、周囲を励まし敢然と困難に立ち向かう――彼女の生き方は京劇の名作に登場する老婆に重なる。71歳の「元気溌剌の共産党員」は中国人が思い描いてきた婆さんの理想像。かくて文革も頼みの綱は婆さんだった・・・らしい。《QED》