樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《彭徳懐 盧山諫言 就完蛋》⇒《彭徳懐 江戸の仇は 長崎で》

  【知道中国580回】            一一・五・三一

     ――あ~あ、退屈でタイクツで、もう・・・ならねェ

     『前進在社会主義大道上』(生活・読書・新知三聯書店 1975年)

 これは「歓慶第四届全国人民代表大会勝利招開(第四期全国人民代表大会開会を慶び迎える)」と銘打たれた「歌曲専輯」、つまり国会に当たる全人大祝賀の歌集ということになる。

 この第四期大会は75年1月13日に開かれているが、その直前、鄧小平は毛沢東の意向で党副主席、中央政治局常務委員、国務院第一副総理、中央軍事委員会副主席、解放軍総参謀長に就き、党首脳の地位に返り咲いている。ついでいうなら、この大会後に入院した周恩来に代わって、鄧小平が政府の実務を引き継ぐ。かくて突如として中央に再登場し一気に影響力を増した鄧小平に危機感を抱いた四人組による鄧小平批判開始まで8ヶ月、周恩来の死まで1年だ。そこで、なにはともあれ歌詞をみておきたいのだが・・・。

 冒頭に掲げられた「毛主席の指導の下で統一行動を」は、勇ましくも「党と政と軍と民に学、東と西と南と北に中、毛主席の指揮の下で統一行動だ。党と政と軍と民に学、東と西と南と北に中、毛主席の指揮の下で統一行動だ。紅旗ははためき、大地に歌が、ラッパの響きは万山にこだます。全国軍民、隊伍を整え、歩調を合わせ、さあ前進。団結は戦闘の要諦、団結は勝利の保証、修正主義に反対し、修正主義を防いで永続革命だ。マルクス・レーニン主義の旗掲げ、英雄的に戦うぞ。党と政と軍と民に学、東と西と南と北に中、毛主席の指揮の下で統一行動だ。党と政と軍と民に学、東と西と南と北に中、毛主席の指揮の下で統一行動だ」。

 次いで「毛主席の革命路線は万丈の光芒を放つ」は、「我らの歌声は爽やかに透き通り、我らの隊伍は雄々しいばかり。我らは第四回大会開会を熱烈に歓呼し、文化大革命の勝利は煌びやかに。誰もが批林批孔の戦場に、新生事物は成長す。我らの朋友は天下に満ちて、社会主義の祖国は日々に発展す。八億人民闘志は燃えて、全党全軍鋼の団結。マルクス・レーニンの大旗を高く掲げて前進だ、毛主席の革命路線は万丈の光芒を放つ」

 なにやら常套句の羅列で、歌詞を追いかけるのもバカバカしくなってきたが、気を取り直して「前進だ、祖国よ!」をみておくと、「大道は色鮮やかに飾られて、山河はまるで錦絵だ。われらの偉大な社会主義の祖国。戦い道、突き進む。闘争のなか勇ましく、英雄人民風雨をくぐり、党に従い紅旗の下を前進す。前進だ、祖国よ!前進だ、祖国よ!」

 もういい加減飽き飽きしてきたが、最後に「紅小兵は四回人代祝います」という童謡を。「唱え、唱え、さあ唱え! 飛んで跳ねろ、さあ跳ねろ!団結の歌声は天をも震わせ、勝利の吉報は四海(せかい)に届く。紅小兵が拍手で祝い、四回人代勝利を歓呼。唱え、唱え、さあ唱え! 跳んで跳ねろ、さあ跳ねろ!批林批孔じゃ、ボクらが戦士、永続革命の新世代。紅小兵(ぼくら)が従う毛主席、太陽迎え、太陽迎え、ボクら革命戦士たち」

 文革開始から10年余り。なんだかかんだか皆目リクツは判らないが、ともかくも毛沢東のいうがまま。劉少奇は「国民党の特務で、労働匪賊で、打倒されるべき中国のフルシチョフ」であり、昨日まで「毛主席の親密なる戦友」だった林彪は「腹黒く、言行に表裏があり、祖国を裏切って修正主義(=ソ連)に逃亡した恥知らずの漢奸売国奴」と、口汚く罵ってはみたものの、ハテ思い返せば文革の10年は草臥れただけ。勇壮闊達で無内容な歌詞から、人民凡てが飽き飽きしている様が透けてみえる。毛の死まで、もう少しだ。《QED》