樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《銭穆去 胡適也去 斉老去》⇒《期待した 彼すら海越え 台湾へ》

  【知道中国582回】            一一・六・初四

    ――毛主席喜んでください、遂にボクらは主席の夢を実現しました

    『沿着毛主席革命路線勝利前進』(香港三聯書店 1971年)

 この本は香港にある中国系出版社兼書店の三聯書店が出版した「学習叢書一九七一年第1輯」で、当時の中国を代表する3大公式メディア――共産党機関紙「人民日報」、同理論雑誌「紅旗」、人民解放軍機関紙「解放軍報」――が71年元旦に発表した共同社説を周知徹底させるために編まれたようだ。

 なぜ香港で共同社説の学習をしなければ、宣伝をしなければならないのか――こんな疑問が湧くだろうが、当時の香港を思い起こせば、とりたてて不思議でもない。66年に文革が起こるや、これに呼応した香港左派の過激分子が英国殖民地政庁打倒を叫び、中国本土以上に過激な街頭行動を展開し、殖民地政府の治安部隊と激しく衝突した。「香港暴動」である。当時、彼らは胸に毛沢東バッチを付け、手には『毛主席語録』を持ち、隊伍を組んで行動した。休日ともなると郊外に出かけて野外炊飯。だが、バーベキューではない。地主や資本家に搾取されるがままだった昔の苦しい日々を憶い起こせてばかりに、わざわざ粗末な食事を口にしていたものだ。香港島の中央に在った中国銀行香港支店の屋上には「毛沢東思想万歳」の巨大な看板まであって・・・いまにして思えば、なんとも不思議な光景だった。つまり、香港にいた一定数の左派に学習させようという魂胆で出版されたわけだ。

 さて肝心の社説だが、「偉大なる70年代の最初の1年が過ぎた。わが国各民族は社会主義革命と社会主義建設の高まる潮流のなかに在って、全世界人民のアメリカ帝国主義と社会帝国主義に反対する闘争の高まる潮流のなかに在って、戦闘的な1971年を迎えた」と、初っ端から異常なまでの高揚感に溢れている。

 次いで「新しい1年が始まるに際し、我われは毛主席のプロレタリア階級革命路線の勝利を熱烈に歓迎し、我らが偉大なる領袖毛主席の万寿無疆を衷心より祝願ものである」と文革華やかな当時を反映した“常套句”を置いた後、いよいよ本題に入る。

 「偉大なる領袖毛主席が1970年5月20日に発表した『全世界の人民は団結し、アメリカ帝国主義とその一切の走狗を打ち破れ』との壮大厳粛なる声明において、『新たなる世界大戦の危機は依然として存在している。各国人民は一切の備えを為すべきである。ただし目下の世界の主要な傾向は革命である』と指摘されているが、国際情勢の推移をみると、毛主席のこの科学的論断を実証している」。以下、各国人民の戦いぶりを紹介した後、その先頭に中国が立つことを高らかに宣言し、最後を「偉大で光栄に充ち正確な中国共産党万歳!/我らが偉大な領袖毛主席万歳、万々歳!」と結んでいるが、興味深いのが社説においてゴチック体で強調されている次の一文だ。

 「毛主席は『わが国人民は一個の遠大なる計画を持つべきだ。何十年かのうちにわが国は経済と科学文化の面における落後した情況を努力して改変し、すみやかに世界の先進水準に到達させなければならない』と教え説かれた」

 「我らが偉大な領袖」が、中国は「経済と科学文化の面」で世界水準から「落後した情況」と認めてから40年ほどが過ぎた今日、なによりも「偉大で光栄に充ち正確な中国共産党」の「努力」によって、中国は、少なくとも経済規模と軍事の面に関し「世界の先進水準」を超えた。ということは、一部ながら毛沢東の宿願が実現したわけだ。じつにステキではないか。やはり「偉大で光栄に充ち正確な中国共産党万歳!」ということかなァ。《QED》