樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《喪田戸 反戈一撃 没有用》⇒《土地奪られ 社会の隅に 追い遣られ》

  【知道中国 586回】            一一・六・仲二

     ――居丈高な大国意識の裏に渦巻く・・・憎悪、怨念、復仇心

     『大国思維』(王宇 湖南人民出版社 2010年)

 早くも1963年春、毛沢東は「中国で社会主義建設という革命運動が失敗した場合、その反動は一般的な資本主義の復活という形ではなく、マルクス主義党が修正主義党、さらには一歩進んでファシスト党へと変化し、全中国の様相は一変するだろう」と“予言”した。その時から半世紀ほどが過ぎた今日、別に毛沢東の先見性を賞揚しようとは思わないが、この本を読むと、確かに彼が中国の将来に抱いた危機感は現実のものとなりつつある。

 先ず著者は「堅忍不抜の民族よ、偉大なる復興を遂げた中華よ」と雄叫びを挙げた後、「現代の文明社会おける大国・強国とは、国土の広大さ、資源の豊富さ、軍事力の強大さ、経済の繁栄ぶり、人口の多さ、財力の強さに拠るだけではなく、その国家が大国としての思惟と智慧とを備えているかを体現しているかが肝要である。新しい情況には新しい思考回路が必要だ。中国を知ろう、知りたいという過程において最も重要な力である思惟は、大国の実態を透視し、将来を見徹す。中国にとってのチャンスとチャレンジは同じコインの表と裏の関係にあり、成功するか否かは中国人自らが如何に情況を把握し、それに対処するか、である」とし、「中国、世界の人口の5分の1を擁する国家が、いま大国に向かって歩を進めている。大国への青写真は神州(ちゅうか)に躍り、世界の果てまで広がる」と、大国として振る舞う当然たる資格中国にはあると傲然、いや陶然と主張する。

 中国近代の歴史は耐え難いが耐えなければならなかった。正視し難いが正視しなければならない屈辱に充ちている――著者のこの主張に従えば、「数千年の歴史をもつ文化大国」であるにもかかわらず、我慢ならない歩みを強いられ、国土は引き裂かれ、賠償金は限りなく毟り盗られ、汚辱塗れの日々だった、ということになる。

 だが、「中華民族は不撓不屈であり」、数億の人民が立ち上がり、外国勢力に対し抵抗し、遂に革命を成就させた。かくて1949年10月1日の天安門楼上における毛沢東の建国宣言に結びつくわけだが、「60年におよんだ疾風怒濤の日々を経た後、弱小国家はゆっくりした歩みながら遂には天にも届く大木に成長し、東方の神州の大地にすっくと立つに至った」そうだ。「中国が発展を目指すなら、自らの道を歩まなければならない。西方の影響下に活きる限り、本当の意味での大国にはなりえないと、無数の革命先駆者は力説してきた」と、中国が「世界の工場」になるために、資本と技術の両面において「西方の影響下」に在らねばならなかったという厳然たる事実を身勝手千万にも、きれいサッパリと忘れ去る。

 著者は「自らを開放し、全世界に認めてもらおう」などとしおらしい呟くが、その舌の根も乾かぬうちから、メディアを先兵とする「西方の包囲を突破し、超強国家になろう」などと“稀有壮大な絵空事”を勇猛果敢に描き出してみせる・・・暴虎馮河で匹夫の勇。

 この本を読み終わった時、フト「誰のせいでもありゃしない、みんなオイラが悪いのサ」という歌詞が頭に浮かんだ。「みんなオイラが」とまではいわないが、彼らには負の歴史の責任の一端が自らにあることに思い至る「自省心」がなさすぎる。アヘン戦争以後の歴史における自らの振る舞いの「理非曲直」を厳しく問い糺すこともまた、超強国家(ウルトラスーパー・パワー)としての務めですよと助言したところで、我を忘れて有頂天に舞い上がっている彼らが聞く耳を持つわけはない。やはり、超強大夜郎自大国だ。《QED》