樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《朝鮮戦 小英雄們 抓特務》⇒《毛沢東  餓鬼を煽てて 特務狩り》
■付録《どんぐりも嗤う民主の代表選》

  【知道中国 588回】            一一・六・仲六

    ――同志諸君、ボクの人生って、なんだったんですか・・・

     『金訓華之歌』(仇学宝 上海人民出版社1970年)
  
 「鮮やかな雲間に立ち、紅い太陽をにこやかに迎えるのは誰。銀色に耀く鋤を肩に、神州(そこく)を流れる川という川に喜びの視線を送る。嗚呼、紅旗は山々の頂に翩翻として並び立つ。湧き上がる歌声よ、雲を衝き抜け天にも届け・・・『生きては革命に身を焦がし、一生を毛主席に捧げよう』」で始まる200頁にも及ぶ大長編叙事詩は、「継続革命の大道」に命を捧げた金訓華の「火焔にも似た二十年の青春」を“感動的”に歌いあげる。

 出版が文革推進派の宣伝拠点でもあった上海人民出版社であり、毛沢東の威令が最高潮に達していたといわれる70年。ならば、背中がムズ痒くなるような“定型表現”に満ち溢れた詩であったとしても、ガマンして鑑賞しようではないか。何事も、ガマンです。

 「労働者世代の好き後継者、新時代の若き猛将」たる金クンは「時まさに四九年」、「新中国と同じ年」の「春浅き二月」に生まれた。産褥期、母親は「労働者の一日も早い解放を、人民の兵士たちの一日も早い捷報を、大恩人の毛主席にお願いした」そうだが、産褥期も終らないうちに働かねばならない。仕方なく母親は乳飲み子の金チャンを抱いて工場にでるが、親方に見つかったらクビになってしまう。だが金チャンは泣かないし、むずがらない。大きなメダマを見開いて静かにしている。「まるで親方が凶暴で、資本家が心の真っ黒な極悪人だということを知っているようだ」。生まれたばかりなのに既に資本家の悪辣さを熟知していたというんだから、呆れるほどに早熟な共産主義者だった。後世恐るべし。

 やがて「五星紅旗が空高く揚がり、毛主席が天安門の上に立つ。大きな手を一振りすれば、たちまち大地は耀きわたる」って、魔法使いか。
金チャンから金クンへと成長するに従って毛沢東の著作の学習に熱が入る。毛選集を手にするため、「凍てつく寒風、吹きつける雪」にもかかわらず、彼は書店の前に幾晩も整然と並んだ。「心に焦がれる毛主席の著作だ。骨を刺す寒風も、身に積もる雪も恐れない。寒い、その場で地面を踏んで耐える。眠い、掴んだ雪で顔を拭う。夜が明ければ、毛主席の著作が手に。喜びの爆発だ。学校への道すがら、口をつく歌。偉大な著作を手にかざす」。それからというもの、寝ても覚めても著作の学習だというから、やはり空恐ろしいガキだ。

 やがて文革。彼は紅衛兵の先頭に立ち、「劉少奇を頭とするブルジョワ階級司令部」に敢然と戦いを挑む。次いで毛沢東の「偉大な戦略部署」に立つべく辺境に向かい、「自らの二本の手を以って、社会主義の祖国のために、理想的な辺境建設を目指す」のであった。そんな日々にもかかわらず、彼は毛沢東の著作の学習を怠らない。「光栄で、偉大で、正確な党への入党が叶う日を熱く思い描いて」というから、これが感動せずにいられようか。
豪雨が続いたある日、スピーカーから「ソ連修正社会帝国主義が再び我が国境を侵そうと策動をはじめた」とのニュースが伝わった時、猛り狂った川の流れは堤防を越え、人々に襲い掛かってきた。すると金クンは「同志諸君、洪水を社会帝国主義に見立てて戦おう」と敢然と洪水に挑んだ。だが待っていたのは、“予定調和”のような壮絶なる死。泣けます。

 かくて「革命の旗は高く掲げられ、継続革命は永遠に止まることなし」ということになるわけだが、かくもリッパな金訓華のことを、21世紀初頭の金満中国人は覚えていない・・・だろうな。どう考えても、トホホ極まりない人生だ。嗚呼、生得滑稽、死得悲惨。《QED》