樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《高玉宝 夫妻識字 隣教隣》⇒《あの頃は 素直に党を 信じてた》
*1年半ほどの掃盲(文盲一掃)運動で労働者・農民(400万人余)が字を覚えた・・・とか

  【知道中国592回】            一一・六・念四

     ――確信的健忘症患者の場合・・・やはり臭いモノには蓋

     『中国古代史常識 先秦部分』(中国青年出版社 1978年)

 この本は毛沢東が死に、四人組が逮捕されて2年後に出版されているが、この年の暮になると、鄧小平が強烈な指導の下で共産党は改革・開放を党是と定める。

 冒頭の「出版説明」には、「多くの中等程度の文化水準の青年労働者・農民・兵士に加え、現役学生を主に対象とする歴史基礎知識に関する読物であり」、「マルクス主義、毛沢東思想を指導指針に、問答形式によって我が国古代の歴史時期、重要な歴史的事件、代表的人物につき系統的で簡にして要を得た知識を学ばせ、歴史唯物主義、革命伝統教育を施そうとするもの」とある。だが、250頁ほどのこの本の何処にも、毛沢東の「も」の字も、『毛主席語録』からの引用もない。権力者の有為転変は世の倣い。時代は確実に動いていた。

 さて、「中国社会科学院歴史研究所、中国社会科学院近代史研究所、中国歴史博物館、北京教育学院、北京師範大学歴史系、南京大学歴史系などの機関の熱烈なる賛同と支持によって書き上げられた」というから、この本には当時の中国歴史学界を代表する“最高の知性”による“最も権威ある見解”が詰め込まれているとみて間違いないだろう。

 旧石器時代からはじまり、秦以前の中国を文化、政治、経済、思想、医薬、土木工事などの側面から懇切丁寧に判り易く解説している。たとえば漢民族が自らの伝説上の始祖と崇める黄帝、炎帝、蚩尤については、「我われ多民族社会主義国家は、遠い昔から現在に繋がり、遥か古代に起源を持ち、我が各民族の祖先が我ら偉大なる祖国の繁栄と隆盛のために共同して努力し奮闘してきたことを説明している」とする。

 なんだか漢民族至上の身勝手でクビを傾げたくなる解説としか思えないが、「孔子はどのような人なのか?」の項目に到って吃驚仰天。なッ、なんと孔子は「我が国春秋時代末期の儒家学派の創始者であり、著名な思想家であり教育者だ」と肯定されているのだ。

 この本に拠れば、孔子は西周時代の諸制度の復活を主張しているが、「過ぎ去った西周の形式に固執しているわけではなく、一定程度は実情に応じて改めることに賛成している」。じつは彼は「我従衆(我、衆に従う)」ことを信条としており、「みんなの手法に同意している」。加えて「挙賢才(賢才を挙げよ)」と語り、国を治めるためには有能な人材を採用すべしとの考えを持ち、「当時の階級変化に対応しようとしている」。

 孔子は唯心主義の観点に基づいて「克己復礼、仁を為す」と主張し、政治の根本に仁(=他人を愛しむこと)を置くが、仁という思想は「後に歴代封建地主階級の思想家によってネジ曲げられてしまった」。「孔子の認識論上の基本観点は唯心主義先験論」だが、学習の重要性を強調する。「この一点こそ、後世の人々に積極的な影響を与えた」と強調する。

 孔子の学生の大部分は貴族の子弟だが、平民に近い「士」の階層出身者を受け入れただけでなく、「賎人」「野人」「鄙人」などで表現される低い階層や他国の学生を受け入れたということは、「奴隷主貴族階層による教育の独占状態を一定程度破ったことになる」。そして最後に、「教学方法からいうなら、学習と思考の結合、独立した思考と啓発に力点を置く孔子の思想は、今日なお批判的に吸収すべきものである」と、極めて高い評価を与える。

 つい数年前まで国を挙げて批林批孔運動を狂気のように展開し、孔子は中国史上における極悪非道で最大・最悪・最凶の反動主義者と悪罵の限りを尽くしていたはずなのに、これはどうしたことだ。これを絶対矛盾の自家撞着、訳して中華ゴ都合主義という。《QED》