樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《費孝通 知道中国 来不及》⇒《気がついた 時には遅い 革命は》
*費孝通は民主派人士と煽てられ建国に尽力したが・・・

  【知道中国 595回】            一一・六・三〇

    ――さあオ坊チャン、オ嬢チャン、唱って踊ってカクメイですよ

    『宝塔山上育新苗』(陝西省工農兵芸術館芸術組 上海人民出版社 1974年)
  
 冒頭の「深入生活 深化主題」と名づけられた序によれば、「1971年春、我われは再び革命の聖地である延安を訪れ、多くの労働者・農民・兵士から再教育を受けた。わずか4,5ヶ月の短い期間の生活だったが、我われは何度も何度も鳳凰山、楊家嶺、棗園、王家坪にある毛主席の旧居を熱い心を持って仰ぎ見た。そして、偉大なる領袖毛主席が延安などの根拠地で中国革命を教え導いた輝かしい実践についての老革命家の話に心から耳を傾けた。これこそ、生き生きと感動的な革命の伝統にかんする教育というだけでなく、思想と政治に関するより深い学習である」との考えが、著者たちに、この歌劇を着想させたとのことだ。

 年老いた共産党軍兵士が、休日に紅小兵を引き連れ延安の象徴とも言える旧い仏塔を戴く宝塔山で植樹しながら、革命の後継者たる子どもたちに木を植え人を育てることの大切さを教え、毛沢東の「深く厚い階級的感情」に思いを馳せ、「毛主席の革命路線に沿って永遠に革命を継続する決心」を体得させようとする――こんな粗筋を持つ歌劇の台本だが、この本もまた当時の同種の本と同じように、楽曲、台詞、衣装、踊り方、舞台の上での動きなど歌劇を演ずるに必要な凡てが示されており、これ一冊さえ持てば、ともかくも公演が可能となる。

 とはいうものの、気恥ずかしくなるような台詞や歌詞が続き、赤面モノの踊りや演技が飛び出すが、それも時代のなせるワザと諦めて読み進んでみたい。

 「紅小兵4号」に扮する少年が「ほら、おじいさん、鳳凰山だよ」と鳳凰山を指差すと、爺さんが「鳳凰山麓、いつも春。主席が紅軍引き連れ延安へ。抗日の烽火、各地に起こり、辺区(共産党支配地)の空は真っ赤に染まる。辺区の空が真っ赤に染まる」と受け、続いてみんなで「宝塔山から北京を望みゃ、遥かに見えるは天安門。青松翠柏(まつとひのき)は太陽迎え、主席と我らの心は一つ。主席と我らの心は一つ」と斉唱。

 次に「紅小兵3号」が「早く見てよ、あっちが楊家嶺だよ」と。すると爺さんが「楊家嶺にゃァ、紅旗が靡く。主席は説かれる“大生産”。自力更生、革命進め、延安精神、いついつまでも。延安精神、いついつまでも」。唱い終わると、再び「宝塔山から北京を望みゃ、遥かに見えるは天安門。・・・主席と我らの心は一つ。主席と我らの心は一つ」と斉唱。

 さらに「紅小兵1号」が「おじいさん、あっちが棗園だよ」と指差すと、爺さんが「棗園の灯は終日灯り、毛思想が行く先示す。日本の侵略打ち破り、抗戦勝利で凱歌が挙がる、抗戦勝利で凱歌が挙がる」。唱い終わると、再び斉唱。

 最後に「紅小兵1号」が「ほらほらほらッ、あっちが王家坪」だよ。すると爺さん、「王家坪にラッパが響き、人民軍隊無敵だよ。蒋介石を墓場に屠り、天安門に紅旗が揚がる、天安門に紅旗が揚がる」。で、またまた斉唱だ。

 数年前、実際に延安で鳳凰山を訪れたことがある。全体が岩でできた小山で、あちこちの岩を刳り貫いて仏像が彫られていたが、大部分の仏像は頭部がなくなっていたり、顔が削りとられていたり。たまたま隣に居合わせた中国人参拝者はポツリ、「文革当時の悪行さ」と。ともあれ、「主席と我らの心は一つ」を懸命に演出した時代でした。オシマイ《QED》