樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《悔之晩 公私合営 好辛苦》⇒《騙された 社会主義化で 店失くす》
*1954年、「資本主義工商業改造」方針に従って自営業者は消滅へ

  【知道中国 597回】            一一・七・初四

      ――腐敗なくして出世なく、不正なくしてカネ儲けなし

      『警告中国人』(周洪 新疆青少年出版社 1993年)

 この本では中国人を「領導」と「群集」、つまり幹部と大衆、上に立つ者と下の者、権力を弄ぶ者と権力に弄ばれる者の2つに分け、詳細な実例を示しながら「警告」している。あたかも中国には、この2種類以外の人間は存在しないようだ。

 その「警告」の主なものを挙げてみると、領導に向かっては「群集と友好について語るな。群衆に心の裡を見せるな。部下と結婚するな。群集を持ち上げるな。群集と友達付き合いするな。群集と囲碁・将棋をするな。群衆と群れるな。群衆と机を並べるな。群集と仕事を共にするな。地球の回転が止まるのを恐れるな。つまらないことは気にするな。抜擢されるのを待っているな。除け者になるのを恐れるな。No.2に甘んじるな。身内に甘いと後ろ指を指されるのを気にするな。勝ち馬に乗る群衆を恨むな。素人が玄人を指図することに怯むな。出来るヤツを身の回りに置くな」

 一方、群集に対しては、「領導と握手するな。領導に酒を勧めるな。領導と友達になるな。領導と道理を語るな。領導と出張するな。領導にシマッタと思わせるな。失意の領導を慰めるな。領導と心の裡を語るな。領導に愛情を示すな。領導と能力を較べるな。領導と昔話に耽るな。ゴ栄達を切望しますと領導をヨイショするな。便所で領導に対し馬鹿丁寧に挨拶するな。No.2に密かに秋波を送るな。北京の領導を後ろ盾にするな。北京の領導に手紙を書くな。領導と専門に就いて語るな。領導の難儀を手助けするな。強欲な領導を恐れるな。愚直にコツコツやるな。目いっぱい派手にやるな。老人を持ち上げるな。自分の考えに固執するな。悪事を学ぶことを恐れるな。有名人の伝記を読むな。天使の誘惑を恐れるな。取るに足らない人間であることを忘れるな。大金を作るな。胸に成算を秘めるな。バイキングを食べるな。商売をするな。平等を追求するな」

 著者は「前言」で「いまや通俗化の時代だ。理想や主義を大上段に振りかぶって語る政治家であっても、白菜の値段や下々が気にしているような極く些細なことに関心を払わなければならない。若者に政治のあり方を説く熱情が社交ダンスに向いてしまうのも、致し方ないことだ。あれほどまでに仰ぎ見られていた北京の権力者も、中国人の心の中では金儲け上手な広東人に取って代わられてしまった。女々しいばかりの香港や台湾の歌謡曲は、大陸の雄々しい歌声を圧倒した。海外のとるに足らないドタバタ劇が、中国の生真面目なドラマをテレビから駆逐してしまった」「(鄧)小平同志であっても、家に戻ったら普通の父親として振る舞えるだけだ」と語り、「群集は領導になるな」と警告する。

 かくして「仕事が終わったら、我われはみんな皇帝だ。カネを使って楽しみを買うことも、キレイな女性を傅かせることだってできる。カネを稼ぐ時にはなんと蔑まれようが我慢を重ね、カネを使うときには思い切って大散財せよ。これこそが、これからの生活というものだ。群集とはカネを稼ぐためのもの。ならば群集になることを学ぼうではないか」となるわけだが、数々の警告を読み返してみると、領導に対しては領導の地位からズリ落ちないための、群衆に対しては領導の機嫌を損ねず、あわよくば領導の仲間入りをするたにはどうしたらよいのかを教え導いているように思える。

 やはり中国においては領導でなければ生きる価値なし、ということだろう。《QED》