樋泉克夫教授コラム
~川柳~
《好辛苦 票証時代 就開始》⇒《これからは 切符頼りで 生きるのみ》
*1955年、物資不足により統制生活開始。糧票、油票、肉票、糖票、布票、魚票、酒票・・・凡てが切符制度に
【知道中国 598回】 一一・七・初六
――やはり、そんなことだと思ったよ・・・
『沈思 証言が伝える文化大革命』(周明編 原書房 1990年)
この本は、「何よりも悪い林彪、『四人組』」が「文化大革命の十年間、封建的なファシスト専制を実施し、数多くの革命家の長老、幾多の幹部や大衆を迫害し」た結果、人生を悲惨な形で閉じた人々を、近親者などが回想・追慕した文章を集めている。文章を以って死者の無念を晴らし魂を鎮め、その人生を顕彰し、名誉回復を図ろうということだろう。
扱われている人物、いわば「何よりも悪い林彪、『四人組』」から酷い仕打ちを受けた被害者は(カッコ内は執筆者)、翻訳家の傅雷(作家)、作家の老舎(長男)、文革で最初に批判された北京市党委員会書記の鄧拓(元「人民日報」文芸部主任)、文革初期に失脚した陶鋳(娘)、文革最大の標的とされた劉少奇(息女)、紅衛兵が掲げた「血統論」を激しく批判した遇羅克(「光明日報」副編集長・記者)、朝鮮戦争に際し派遣された中国人民志願軍司令官で元国務院副総理兼国防部長の彭徳懐(姪)、周恩来(党中央文献研究室研究員)。
どの文章も、それなりに泣かせるし読ませる。理不尽な社会への怒りも感ずる。だが、次のような文章を眼にしたら、やはり鼻白む思いがしてこないわけがない。たとえば、
「全国が喜びにわきかえりました。お父さん、わが共産党と人民が『四人組』を一挙に粉砕したのです。見ましたか、人民は勝利しました! 党は勝利しました!」
「彼が熱望した社会主義の民主化は、今では大いに発揚されている」
「膨大な史書をひもとき、過去の長い歴史をさかのぼると、あらゆる事実から、人民と敵対すればろくな末路がないことが証明されている。(林彪のクーデター計画失敗は)歴史が巧妙に仕組んだ結末だ。林彪反革命集団の失敗は、歴史の必然といえよう」
――こういった常套句には、ウンザリでゲンナリ。だが、文革の罪の全てを「林彪・江青反革命集団」におっかぶせてしまえという文革勝ち組、いわば当時の共産党首脳陣の政治的目論見を慮れば、こう表現せざるをえなかったこともまた事実だろう。
ところで不思議に思えるのが、紅衛兵などから手酷い仕打ちを受けながらも、多くの被害者が最後まで、「党と毛主席は私を理解してくれている。周総理は最もよく私を理解している」「わが党がいつまでもこのまま放置しておくはずはないと信じる」「毛主席に会いたい。話がある」などと口にした点だ。
そのような理不尽な扱いの背後に控え、実行者を唆し操っているのが毛沢東や周恩来、それに党であることに、彼らは無知すぎた。そのオメデタイ極まりない姿は、ソ連における大粛清の渦中で「スターリン同志」が最後には苦境から救ってくれると健気にも信じ込んでいた多くの被害者に似ている。独裁者は不思議な魔力と魅力を撒き散らす“人誑し”でもあるわけだ。
閑話休題。「あの極悪人の迫害者・康生の遺骨が中央に置いてあるのを見た時、胸には憎悪の炎が燃え上がりました。骨壷にかけてある党旗をたくしあげてみると、そこには、つばとタバコの焼けこげた痕がいっぱいありました。康生に憤慨した人たちが、こうした方法で恨みをはらしていたのでした」――この個所を読み、さすがに、と思わざるをえなかった。毛沢東の袖の下に隠れ、数限りない政治的陰謀をめぐらせた康生に対し恨み骨髄だろうことは判る。だが、「いっぱいあ」った「つばとタバコの焼けこげた痕」の何割かは、康生をのさばらせた親分の毛沢東に対するものだったに違いない。日本人なら、中国人からは大甘といわれようが、そんな人倫に悖るような行いは出来ない。だが、そもそも彼我で「人倫の基準」が違っているわけだからサモアリナン。くわばらくわばら、である。《QED》