樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《搶而光 首部憲法 就上市》⇒《毛沢東 オレは憲法 超越す》
*1954年9月、最初の憲法が公布された

  【知道中国 600回】            一一・七・一〇

      ――これはもう、正気の沙汰ではありません

      『無産階級文化大革命就是好』(上海人民出版社 1974年)

 1974年1月から5月にかけ、上海市の総工会と文化局の関連団体の主催により、上海市群衆歌詠大会が開かれている。この大会で披露された楽曲を集めたこの本の「前言」によれば、大会には総計で1万7千人余の「各戦線の労働者・農民・兵士大衆、革命幹部、革命知識分子、その他の労働人民」が参加し、「大量の革命歌曲を創作し、プロレタリア文化大革命を熱く讃え、社会主義の新生事物を支持し、叛徒で売国奴の林彪がプロレタリア文化大革命を否定し、資本主義の復活を目論むという天も許さない悪行を痛罵し批判した。革命の歌声が思想文化陣地を制圧した」ということだ。

 「革命の歌声」で「思想文化陣地」を「制圧」する――じつに勇ましい、いや大げさが過ぎる。なんとも形容しようのない表現だが、「革命の歌声」程度で「制圧」できる「思想文化陣地」とは、いったい、どのようなものなのか。まあ、おそらく大したことはないだろう。とはいうものの、モノは試しである。「革命の歌声」に耳を傾けてみようではないか。

 冒頭に置かれているのは、全119曲を納めたこの本の書名にもなった「無産階級文化大革命就是好」。作詞・作曲は上海市工人文化宮文芸学習班とのことだが。「プロレタリア文化大革命はヨー、なんて素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい。マルクス・レーニン主義は広まって、上部構造の上に紅旗は翻る。革命の壁新聞はよー、大地を真っ赤に染め尽くす。勝利の凱歌は雲を払い、7億人民は団結し戦うぞ。紅色の大地は、より紅い。文化大革命は素晴らしい、文化大革命は素晴らしい、プロレタリア文化大革命は素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい」。

 読んでいるこちらが気恥ずかしくなるような歌詞だが、これを当時の上海市の革命派幹部が声を限りに唱ったはずだから、じつに空恐ろしい話だ。「素晴らしい」の5連発は、「素晴らし」くないことの裏返しではなかろうか。当時、次々と誕生した造反組織が敵対する組織を「紅旗を振って紅旗に反対する」と表現して批判していたが、この批判方法に倣うなら、「素晴らしい」を唱いあげて「素晴らしい」に反対するといったところだろう。

 次は女性の独唱による「毛主席を慕う」は、「中速で熱情的に唱え」との指示がある。「頭を挙げて遥かに望む天安門。心に念うは毛主席。革命を知るほどに北京は近づき、造反を重ねるほどに毛主席への親しさは増す。造反を重ねるほどに毛主席への親しさは増す。胸いっぱいに朝陽を抱けば、恐ろしいことはなにもない。/頭を挙げて遥かに望む天安門。戦闘の誓いを北京に寄せる。戦いの意気は千重の山をも移し、猛き心は万丈の氷も溶かす。

 猛き心は万丈の氷も溶かす。生きては毛主席の革命路線の為に闘い、死しては毛主席の革命路線の為に身を捧げる」。「朝陽」が毛沢東を指すことは最早いうまでもないこと、だ。
ところで「劉少奇を打倒せよ」は「劉少奇を打倒せよ、劉少奇を打倒せよ、劉少奇を打倒せよ。(中略)劉少奇を徹底的に打倒する、打倒、打倒、劉少奇」で、「批林批孔の戦場へ」は「資本主義復活目指す狂人を倒し、(中略)我ら労働者・農民・兵士は永遠の革命派、紅い大地よ永遠に、紅い大地は永遠だ」。まったく劉少奇も林彪もクソミソ、である。

 粗雑、いや粗製乱造。ともかくも、「大量の革命歌曲」を1万7千人もで唱いまくったわけだから、「素晴らしい」の一語だ・・・嗚呼、アンタ方は偉かった。エラ過ぎた。《QED》