樋泉克夫教授コラム
~川柳~
《就上市 上山下郷 知青去》⇒《煽てられ 若者僻地に 追いやられ》
*1955年9月、都市人口抑制のため都市青年を農山村に送り込む事業開始
【知道中国 601回】 一一・七・仲二
――笑風、笑雨、敗者を笑殺す
『相声芸術与笑』(王力叶 広播出版社 1982年)
もちろん中国にもお笑い芸はある。相声(おわらい)と綴るが、わが国の寄席芸を例に紹介すると単口相声が落語、対口相声(双口相声ともいう)が漫才、多人相声がトリオやらボーイズもの、男女相声が夫婦漫才、女相声が女性コンビ漫才に当たるだろう。こうみると、中国のお笑い芸も“しゃべくり”を柱にした大阪のそれに近いようだ。
それが「芸術の一部門として認められ重視されるようになったのは、やはり解放後のことである」。それというのも、民衆に親しまれていた相声であればこそ、それを使って共産党政権の政策や考えを手っ取り早く宣伝しようとしたからだ。相声というお笑い芸もまた政治宣伝の手段であるがゆえに、過激な笑いによって過激な政治運動を燃えあがらせる一方、敗れた政敵を徹底して笑殺しよう。惨めにも敗れ去った者を完膚なきまでにコケにし、満天下に恥を晒させ、政治的に葬り去ってしまおうというのが狙いである。
この本では対口相声を中心に、相声という芸を歴史、構造、機能などの面から多角的に論じているが、冷酷な政治が続く中国である。お笑いとはいいながらも、現実の政治闘争から逃れることなどできはしない。それゆえに改革・開放が緒に就き、毛沢東時代を象徴する人民公社が解体された頃に出版されただけあって、この本もまた文革の「負け組」である林彪、四人組に対する恨み辛みを書き連ね、併せて徹底して虚仮にしている。
たとえば相声の持つ「醜悪さを暴露する」という機能を説明する個所では、林彪と四人組を例に引きながら、「旧勢力というものは歴史の舞台から簡単に引き下がるものではない。悔い改めることなく執念深く蠢き、新しい勢力や新しい事物に徹底して抵抗すべく、偽装し、正義・進歩・正確を騙り、真偽を見分け難くさせる」と解説している。林彪や四人組は相声とは関係ないと思うのだが、都合の悪いことは、なにからなにまで徹頭徹尾・終始一貫して彼らにおっ被せ、自分たちは頬被りをしまおうという魂胆だから致し方のないことかもしれない。やはり人生は負けたらア菅のです。殊に中国における政治闘争では。
「『文化大革命』の過程で、林彪や『四人組』という反革命集団や彼らにオベッカを使う輩たちが出現した。彼らは骨の髄から反動の叛徒、特務、ゴロツキ、文化ヤクザでありながら、最々上級の革命的な“左”派を偽装した。“正確路線代表”を騙り、“文化大革命の旗手”やら、“反潮流の英雄”とやらを演じてみせたのだ。だが、とどのつまり醜悪は醜悪でしかなく、どのように装うが騙ろうが化けの皮は剥げ、最後には醜い本性を晒してしまうものである。『四人組』を粉砕した後、彼らの本性を暴いた『舞台風雷』『帽子工廠』などの出し物が演じられた。こういった演目が人々に迎えられたのは、『四人組』の醜悪さを暴露し、彼らの外面と内面の違いを告発し、それが十分な笑いを誘ったからである」
ここに挙げられた『舞台風雷』や『帽子工廠』は四人組逮捕直後に生まれた双口相声の演目で、四人組の権力亡者ぶり、それであるがゆえのマヌケな姿を面白おかしく表現している。国を挙げて四人組をバカにし、腹の底から嘲り笑おうというのだから壮大なスケールの相声といえる。文革で先ず劉少奇が敗れモノ笑いの種にされ、次に林彪がクソみそにコケにされ、最後に四人組はオチョクラレ・・・敗者はツライ。一方の庶民は勝者の指示のままに劉を苦笑し、林を嘲笑し、四人組を哄笑し・・・嗚呼、笑って許して。《QED》