樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《知青去 広闊天地 為地獄》⇒《勇躍と 向かった先は 地獄なり》
*「社会主義建設の偉大な事業に参加しよう」と煽てられ農山村に向かった都市の若者を待っていたのは、過酷な労働と劣悪な生活環境だった

  【知道中国 602回】           一一・七・仲四

     ――お笑い芸は残酷で、身勝手なものだ

     『再生集』(侯宝林 山西人民出版社 1978年)

 著者の侯宝林(1917年~93年)は、相声を現在の形に作り上げ、晩年は北京大学教授として伝統芸能について講義するなど、お笑い芸を極めた立志伝中の芸人。それゆえに「相声大師」とも呼ばれる。つけ加えるなら、毛沢東が屓にしていた芸人の1人だった。

 この本に納められた10数本の新作漫才の台本は、「四人組によって直接的に扼殺され、あるものは間接的にズタズタにされ、舞台に掛けることができなかった。ところが英明なる領袖・華主席を頭とする党中央が四人組を粉砕して後、それらの作品に新しい生命が吹き込まれたばかりか、侯宝林の芸術生命も舞台や電波の世界で蘇った」。そこで『再生集』と名づけたそうだが、能書きはともあれ、「姓名学」と称する作品の一部をみておこう。

甲:ヤツの芸なんて、お話にはなりません。だが目端の利いた政治芝居はオハコだったんです。その昔、メシの種だってんで革命に首を突っ込んだ途端、国民党の特務にふん捕まってしまう。と、すぐにも恥知らずの叛徒に早変わりだ。シャバに戻されるや、人民の敵である蒋介石のクソッタレの誕生祝に唱って踊って演技して・・・。
乙:そいつがヤツの本性ってワケだ。
甲:その後、ヤツは女優じゃ先ずはモノにならないだろうとトットと見切りをつけた。醜い前歴を隠して革命の隊伍に紛れ込み、藍蘋から江青へと名前を変える。
乙:江青という名前には確かな来歴がありますか。
甲:大有りですよ。古い詩の「一曲の演奏が終わると奏者は消え去り、川辺にいくつかの青山が聳えるのみ」という意味の「曲終人不見、江上数峰青」が出典だ。まあ、蒋介石のくたばりぞこないのために誕生賛歌を唱い終わったら、唱った藍蘋が消えちまった、という寸法だ。
乙:どこへ?
甲:解放区へ紛れ込んだわけですよ。
乙:さすがに政治的ペテン師・・・。
甲:だけど藍蘋の2文字を忘れたわけではない。そこで、さっきの古い詩の後ろの句の頭と尻尾の1文字づつを取って、姓は江で名は青。「青は藍より出ずる」ってところ。
乙:昔のねじけた根性は忘れずに、続けて反革命をやらかそうと・・・。
甲:江青の2文字に隠された秘密を知ろうと思ったら、本人が創ったとホザイテいる「江上に奇(くすし)き峰あるも、烟霧に鎖(と)ざされる。尋常(つね)は見えねど、偶爾(とき)に猙獰(どうもう)さを露わす」という、あの黒詩(悪意が隠された詩)が参考になります。
乙:えッ、確か最後の一句は「偶爾露崢嶸」じゃなかったかな。「崢嶸」は峻険で美しい山々を形容してますが・・・。
甲:なあに、ヤツには猙獰がピッタリ。いつもは猫を被ってますが、イザという時になると、猙獰な本性を露わすってことです。

 「人民にとっては唾棄すべきヤツです。だから痰壷です。ヤツは」など、じつにえげつない表現に満ちた江青批判は延々と続くが、バカバカしいので、この辺で止めておく。

 それにしても“昨日までのファーストレディー”を「痰壷」に擬え侮蔑し、挙国一致で公然と嘲笑うセンスがおぞましい限り。オ仲間には・・・遠慮させて戴きマス。《QED》