樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《為地獄 騙騙称呼 真天堂》⇒《この地獄 讃え挙げろよ 天国と》
 *建国から数年、いよいよ政治の暴風が吹き始める

  【知道中国 603回】            一一・七・仲六

      ――血涙秘メシ梧桐山・・・梧桐山は血涙に咽ぶ

      『血涙斑斑』(張贛萍 宇宙出版社 1968年)

 梧桐山は大陸を逃れた難民が香港に行き着くために越えなければならない最後の難関。梧桐山さえ無事に越えることができれば、その先には明るく輝く香港の街の灯。順調な明日が確実に約束されているわけではない。だが、なによりも自由があった・・・。

 この本は大陸で起きた文革に煽られた香港の左派が起こした香港版文革ともいえる「香港暴動」の翌年に出版されているが、テーマは文革でも香港暴動でもない。その時から10年ほど昔の58年に毛沢東が客観情況を無視して進めた急進的社会主義化政策である。全国を人民公社化し、家庭をぶっ壊し、全員が公社の共同食堂で一斉にメシを食べ、一斉に畑に出て人海戦術で農作業に励み、土法炉と呼ばれた素人手作りの小型溶鉱炉で鉄を大量に生産し、当時世界第2位の経済大国だったイギリスを15年で追い抜き、第1位のアメリカに肉薄しようしたのだ。名づけて大躍進政策。稀有壮大な革命ロマンだが、実態は行き当たりばったりのデタラメにすぎなかった。

 農民の兄は、帰省した医者の弟に向かって訴える。
「『公社』なんぞにゃあ、お天道さんも腹を立てていなさる。有り難くもなんともねえ。迷惑千万で恨み骨髄だ。そのうえデタラメし放題の幹部とくる。おかしくならねえわけがねえじゃねえか。これといった目論見なんぞ、奴らにゃハナっからねえ。経験もねえ。だからワケも判らんくせに、ムチャクチャな計画ばあ、わしらにおっ付ける。お蔭で農村(むら)はグチャグチャになっちまった。今月は牧畜を主にするとぬかすから、豚に羊、鶏に鴨、それに苗をしこたま買い込んだァいいが、その口が乾かねえうちに、来月は工業が柱だなんて勝手にホザク。仕事の重点をレンガ作りに置け、石を切り出せだ。すると次ぎゃ急に農地を拓けだ。せっかくモノになりかけた養魚池をぶっ潰し、畑だ田圃だ。深く掘ってびっしり植えろだ。豚や牛の面倒が見切れねえもんで、とどのつまりゃあ、ヤツらはおっちんじまう。肥料は足りねえ、草は生え放題で、害虫はうじゃうじゃ。これじゃあ穫り入れなんて、どだい無理なこった。それでも幹部はなんとか目標を達成しようと、わしらと家畜に無理難題を吹っかけてくる。鴨や鶏を供出しろ。さもなきゃあ食糧を配給しねえゾと脅しゃあがるが、供出なんてするもんか。トリの首絞めて自分で食っちまうのさ。食糧を配給しなきゃあ、盗めばいい。かっぱらえばいいだけのこと。『人民公社』なんてガタガタだ。わしら百姓は運を天に任せるしかねえ。一日生き延びれたらメッケもん。夢もねえし希望もねえ。ましてや将来も考えられねえような毎日を、なんとか生きるしかねえ」

 弟は兄から、「苦幹三年、幸福万代(三年辛抱、一生幸福)」をスローガンに掲げた大躍進の悲惨な実態を知らされる。かくて「現状が好転する見込みは先ずありえない。人民は日々の生活に絶望している。生き抜くため、必ずや最後には悲惨な争いとなるだろう。暴力を恐れず、誰憚ることなく政府と幹部を罵る人民の底なしの恨みを思えば、遅かれ早かれ大爆発を引き起こし、大陸は大混乱に陥るはずだ」と考えた。残るも地獄、去るも地獄。ならば少しでも希望の見出せそうな地獄に賭けようじゃないかと、大陸脱出の道を選ぶ。

 日本人の想像を遥かに超えて凄まじくも悲惨な脱出行を経て逃れた香港で、ある日、主人公はナチスの残虐な民族浄化策を描いた映画を見て、「共産党と全く同じだ」と呟く。

 その時から半世紀余が過ぎた現在、金満中国で「幸福万代」が実現・・・まさか。《QED》