樋泉克夫教授コラム

~川柳~ 
《真天堂 恩来亮相 在万隆》⇒《周恩来 世界をすっかり 誑かし》
*55年4月、インドネシアのバンドンでの会議で、周恩来が外交戦を華々しく展開

  【知道中国 604回】          一一・七・仲八

      ――敵の反撃を絶つ最良の方法は・・・敵の心臓を抉ること

      『唖巴伙計』(樹棻 上海人民出版社 1977年)

 「唖巴」はおしで、「伙計」はレストランなどのボーイを指す。ウソかマコトか、文革当時、『毛主席語録』を懸命に学習して売り上げを格段に伸ばした屋台のスイカ売りの爺さんの話が話題になったことがあるが、てっきり『毛主席語録』を“死に物狂い”で活学活用して喋れるようになったボーイの物語と思い込んでいたが、それは間違いだった。

 時は1948年初冬。国共内戦おいて国民党軍の息の根を止めたといわれる遼瀋、平津と共に3大戦役の1つに数えられた淮海戦役に向け、華東と中原の両野戦軍は国民党軍を包囲・殲滅すべく戦略部署に就いた。この物語の舞台となる双橋鎮は安徽省北部の戦略上の要衝であり、国民党軍の食糧や武器・弾薬の集積地であった。共産党安徽省北部ゲリラ部隊は偵察要員である謝康を双橋鎮に送り込む。彼は“ツンボでオシ”を装って国民党幹部御用達の料亭で知られる得意楼で働き、敵の内情を探索することになる。

 巻頭の「内容提要」が「手に汗握るストーリー展開。的確な文章表現は中高生の読物としては最適だ」と自負しているだけあって、革命とか人民解放戦争とかいう面倒臭いリクツを抜きの冒険活劇として読んでも、確かに面白い。その面白さが最高潮に達するのが、謝が敵に内通していた呉の正体を暴き人民裁判にかける「九 人民裁判」の章だろう。

 ――正体がバレたことで慌てふためく呉に向かい「安心しなよ。お前に結論を告げる時がきたんだよ」といいながら、傍らの大きな置時計を見る。いまや、叛徒を清算する時がやってきたのだ。謝は一歩前に踏み出し押し殺した声で決然と告げる。「人民を代表してキサマに判決を下す」

 呉は座っている椅子から転げ落ち、焦点の定まらぬ目で、「ど、どんな判決だ」
 「革命の隊列を食い荒らすキサマのような腐った虫を取り除き、人民が被った血債を弁償してもらおうではないか」

 呉は隠し持っていた拳銃を素早く取り出し、謝に向かって引き金を引こうとする。だが謝は目にも止まらぬ速さで拳銃を持つ手を蹴り上げ、呉を床に押し倒し、喉を押さえた。頚動脈をグイグイと締めあげられ、呉の耳はグワーンと鳴り、目の前はだんだん暗くなり、意識が遠退いていく。「ああ、もうダメだ。こうなることが判っていたら、このオシ野郎が入ってきた時にバーンと引き金を引いておきゃあよかった。ああ、もうオシマイだ。あの大金も、金の時計も、箱に隠しておいたアレ・・・も。速く判って・・・いたら・・・」

 謝が押さえていた手を緩めるや、呉は息を吹き返し暴れようとする。だが、謝に襟首をしっかり押さえられ身動きがとれない。謝は怒りに満ちた目線を向け、力強く「いいか、よく聞け。人民になりかわってキサマを死刑に処す」。いい終わるや、鋭くキラリと光っている刃を叛徒である呉の心臓にグサッと突き刺した。

 かくして正規軍は双橋鎮を制圧する。「前進、前進、前進、我等の隊伍は太陽に向かい・・・」と、まるで千軍万馬のような勇壮な歌声が黎明の空を揺るがす。いよいよ空は明るさを増し、太陽は東の空を真っ赤に染めあげるのであった――メデタシメデタシ。

 ところで日本の少年向け革命読物に「心臓にグサッ」などというシーンはあっただろうか。中国では敵に情けは無用と少年の頃から教え込むわけだ。ここで素朴な疑問を。誰が、いつ、どのような条件の下で謝に「人民を代表してキサマに判決を下す」権限を与えたのか。タメにする身勝手な思い込みというものだろう。やはり“正義”は胡散臭い。《QED》