樋泉克夫教授コラム

~川柳~
《人人哭 走来走去 老保守》⇒《ヤツは「右派」 社会の外に はじき出せ》
*時に人民は気に入らないヤツを「右派」とデッチ挙げ、党の指示に悪乗りして虐め苛んだ

  【知道中国610回】            一一・七・三〇

      ――やはり「大患は忠に似たり」ということか

      『康徳星雲説的哲学意義』(鄭文光 人民出版社 1974年)

 この本の出版は『中国歴史上的宇宙理論』(608回)の1年前。著者も同じ鄭文光で、同じく宇宙の成り立ちと運行に関する議論。康徳(カント)の説いた星雲説の哲学的意義が論じられている。そこで『中国歴史上的宇宙理論』を手にした時と同じ疑問が湧く。四人組の時代に、なぜ宇宙天体理論なのか。毛沢東思想が中国と中国人の凡てを律していたはずの政治の季節に、なぜカントなのか。一種の違和感を覚えないわけにはいかない。

 著者は「階級社会において、人間の自然に対する認識は、それぞれの時代の政治と思想の闘いと緊密に結びついている」とし、たとえばコペルニクスの地動説は「近代自然科学の解放を宣言し」、カントの星雲仮説は「最も早く形而上学の桎梏を打ち破った宇宙発展理論であり」、アインシュタインの相対性理論は「宇宙の時間と空間に対する分析から出発し、現代科学の新天地への道を指し示した」と実例を挙げた後、「すべての自然観と同じように、宇宙の仕組みと発展についての人間の認識というものは、哲学における宇宙観と一体不可分の関係で結びついているだけではなく、哲学宇宙観の制約を受け、同時に哲学宇宙観の科学的基礎となる」と主張する。

 マルクス主義の母体ともなったヘーゲルの弁証法とホイエルバッハの唯物論を遡れば行き着くことになるカントこそが、科学的宇宙発展観を初めて提示した。青年時代のカントは「基本的には原初的な唯物主義の傾向を持った自然科学者だった」。かくて1755年にカントが発表した『自然通史と天体論』こそが「天体進化にかんする人類史上初の科学的理論であり、星雲系に内在する矛盾から出発し宇宙の起源と発展を解釈したもの」であり、それはエンゲルスが高く評価しているように「硬直化した自然観を打ち破る最初の突破口」と評価できるだけではなく、「天体の進化に関する研究上の大きな成果を超えて、弁証法的自然発展観にとっての出発点となった」とし、カントは「地球と太陽系の総体それ自体が、ある種の時間の経過のなかで徐々に生成されてきたことを科学的に明らかにした」とする。

 次いで著者は宇宙の成り立ちに関するカントの学説を詳しく解説し、「人類の自然界に対する認識は、生産闘争、階級闘争、科学実験を経ることで不断に豊かになり、発展し、正確で全面的な把握に向かうものだ。これこそがマルクス・レーニン主義、毛沢東思想を学ぶ重要な課題であり、同時に意識の領域での唯物論と唯心論、弁証法と形而上学の間で激烈に戦わされる闘争の場である」とした後、「弁証法的自然観が到達した観点に立てば、宇宙探索に関する実践と認識の循環の果てしない過程の中で繰り返されることになる実践と認識は、人類の宇宙に対する認識を必ずやより高い次元に引き上げることになるだろう。これこそが、我われの結論である」と断じている。

 「康徳星雲説」の部分は割合に判り易いのだが、「哲学的意義」の部分になると読むほどに莫明其妙(チンプンカンプン)であり、なぜ、あの時期に、こんな内容の本が出版されるに到ったのか。莫明其妙は募るばかり。だが敢えて『中国歴史上的宇宙理論』と連動させるなら、「実践と認識」を掲げることで、現実無視の四人組が金科玉条のように掲げる毛沢東思想の「形而上学の桎梏を打ち破」ろうとしたとも考えられる。そこにこそ、この本の「哲学的意義」がありそうだ。ならば宇宙論を装っての四人組批判となるだろう。やはり鉄砲の弾はどこから飛んで来るのか判らないようだ・・・注意一秒・野望瓦解。《QED》