樋泉克夫教授コラム
~川柳~
《受改造 寡不敵衆 拍馬屁》⇒《幹部たち 命惜しさに オベンチャラ》
*中央から地方までの大部分の幹部が奇想天外・実現不可能な大躍進政策を掲げた毛沢東に追従したことが大量の餓死者につながった。餓死者の数4千5百万人超とも(50年代末の人口は6億5千万前後)
【知道中国 612回】 一一・八・初三
――だから毛沢東は自力更生を訴えた・・・かな
『中国古代的発明創造』(三結合編写 上海人民出版社 1976年)
粗製乱造・突貫工事・付け焼刃的高速鉄道のトホホな事故と超トホホな事後対応には、まったくもってトホホとしかいいようはないが、改めて外国最新技術への中国の対応の歴史を振り返ってみるなら、少なくとも1840年勃発のアヘン戦争敗北に遡るべきだろう。
“偉大な中華文化”を体現する中華帝国=清朝が、なぜ文明未開の野蛮なイギリスに敗北したのか。そこで先ず中体西用、つまり絶対至高の中華精神文明(中体)に西洋科学技術(西用)を合体させれば百戦不敗とソロバンを弾き、西洋から最新機器、主に軍艦や大砲などの兵器を輸入して第2次アヘン戦争へ突入してみた。だが、目論みは完全に大外れ。勝つはずの戦争が、またもや散々な敗北。
中体西用という考えは捕らぬ狸のナンとやら、である。次に起こしたのが洋務運動、つまり最新機器を生み出す思考と技術を学ぼうというわけだ。最新技術を導入し、最新工場を建設し、海外に留学生を送り出し、欧米の最新知識を翻訳し、準備万端整ったところで戦争したが、また悲惨な敗北。しかも今回は東の果てに浮かぶ海上の三山、つまり“文明果てる日本”に完敗というのだから、彼らにとっては何ものにもかえ難い屈辱だったに違いない。
そこで日本にあって清朝にはなかった憲法と議会を導入せよと変法自疆運動が起きたが、清朝保守派によって圧殺されてしまった。それというのも、憲法と議会は中華帝国秩序に抵触し、地上で唯一絶対者であるべき皇帝の権力にタガを嵌め、絶対至高権力を殺いでしまうからだ。やがて知識人は「徳莫克拉西と賽因斯がない中国に明日はない」と嘆くことになる。徳莫克拉西(デモクラシー)と賽因斯(サイエンス)、つまり民主と科学だ。
時移り人変わり、人民共和国成立から40年が過ぎた1989年に天安門事件が発生したが、あの時、天安門広場に集まった若者は「中国には徳莫克拉西と賽因斯がない」「民主も科学もない一党独裁を改めよ」と怒りの声を挙げた。だが共産党政権はこの声を戦車で圧殺する一方、経済成長路線に照準を定め、人民をカネ儲け至上路線に駆り立てることで政権維持を目論んだ。共産党の狙いはドンピシャ。人民もまた、この路線に踊り狂う。
そこで今回の高速鉄道オ粗末トホホ事故の発生だ。ここで、こうは考えられないだろうか。清朝中核が民主と科学を中華帝国秩序を侵食する悪の元凶と危険視したように、共産党中枢もまた、それが一党独裁体制を切り崩しかねないと危機感を抱いた、と。かりに民主こそが科学の進歩を支え保障するものだと考えるなら、民主を否定する一党独裁体制の下では科学の発展は望めそうにないし、トホホ的悲劇は繰り返されるはず。要するに今回の高速鉄道事故は単に鉄道部が抱える腐敗体質でも、現実無視の経済社会開発の悪弊でもなく、じつは国土全体を覆い尽くしている政治体制が内包した病理に帰着することになる。
この本は指南針、製紙、印刷術、火薬、古代農業技術、陶磁器、天文暦法、気象学、天体構造、数学、蚕糸、医学、冶金鋳造、燃料、大土木工事、造船と航海などの中国古代の発明と創造を詳細に解説しているが、それらを「我が国の古代労働人民の実践を基礎とし、千百万人民の聡明な才智を凝集させたもの」とし、「今日、歴史を研究し、これら古代科学技術における発明と創造を理解しようとする時、毛主席の偉大な教導を終始徹底して遵守しなければならない」と教えている。「毛主席の偉大な教導」を自力更生という。
ならば今こそ、「毛主席の偉大な教導を終始徹底して遵守」すべきだと思うが・・・。《QED》