樋泉克夫教授コラム

~川柳~
《好大胆 国家要放 大炮仗》⇒《国民が 飢え死にしても 原爆を》
*国民が窮状に喘ぎだした58年8月、原爆製造に着手・・・曰く「ズボンを穿かなくても原爆を」。

  【知道中国 617回】            一一・八・十

     ――これを、主観主義的牽強付会罵詈雑言哲学という

    『欧州哲学史上的先験論和人性論批判』(汝・叶・傅・王 人民出版社 1974年)

 4人の著者による哲学論文集である。「柏拉図唯心論的先験論批判」「托馬斯主義的神学先験論批判」「康徳的先験唯心論批判」「批判康徳的“天才”論」「欧州近代哲学史上的資産階級人性論」「現代資産階級人性論的一個黒標本」「古希臘智者学派的主観唯心主義詭弁論」と、それぞれの論文題目を並べただけでは、なんのことやら莫明其妙(チンプンカンプン)。そのうえ柏拉図=プラトン、托馬斯=トーマス・アキュナス、康徳=カント、古希臘=古代ギリシャ、智者学派=イデア学派と判読できても、論文執筆の意図は判りそうにない。

 そこで「前言」を読み進む。「ブルジョワ階級の野心家、陰謀家、反革命両面派、叛徒、売国盗賊の林彪と林彪反党集団の主な構成員である国民党反共分子、トロツキスト、叛徒、特務、修正主義分子陳伯達は、過去に見られた搾取階級の反動哲学のゴミの山の中からクサレきった武器を探し出し、一貫して党を攻撃するための極悪愚劣な道具とした」とあるところから判断して、どうやらこの哲学論文集ではプラトン、トーマス・アキュナス、カント、古代ギリシャのイデア学派は、70年代前半の中国では「過去に見られた搾取階級の反動哲学のゴミ」として論難されているらしい。

 この本に納められた哲学論文を読み進んで気がつくのは、林彪と陳伯達は、①ギリシャ以来の「搾取階級の反動哲学のゴミの山の中から」屁理屈をみつけ出し、②反革命修正主義をひねり出して唯心論的先験論・天才論・人性論を鼓吹し、③英雄が歴史を創造するなどというダボラを吹きまくり、④終始一貫して詭弁を弄し徹底してデマを飛ばし、⑤かくてマルクス・レーニン主義に楯突き、毛沢東思想に反対した――といった論旨で共通している点だ。

 つまり林彪や陳伯達らの林彪反党集団は劉少奇叛徒集団と同類であり、彼らの反動哲学は、「プロレタリア独裁を転覆し、資本主義復活を画策する修正主義路線に服務するものであり、党を詐取し国家を盗み取ろうとする陰謀のために反革命与論をデッチあげようとしたものだ」ということになる。

 かくして「林彪反党集団は歴史上の一切の搾取階級の反動思想の販売人である。彼らは黒を白といい、是非を逆転し、デマを煽り、悪事をデッチあげ、陰謀を策し、中傷を弄んで反革命武装クーデターに結び付けようとするなど、反革命的術策は極まりない。その実態は周恩来同志が党大会における政治報告で指摘しているように、『林彪とその一握りの死党(くたばりぞこない)は『(毛主席)語録を手放さず、(毛主席)万歳をお題目のように唱え、面と向かっては耳に心地よい話しをしながら、裏に回っては悪辣極まりない計略を巡らしている反革命陰謀集団』である。(中略)とどのつまり詭弁、デマは見透かされる。林彪一派の反革命に向けての狼のような謀心と叛徒・売国奴の姿は、遂には白日の下に晒されクソ小便の塊と化した。これこそ歴史が彼らに下した判決だ」との断罪となるわけだ。

 それにしても、なんとも悪臭漂う哲学論文集だが、プラトンもトーマス・アキュナスもカントも古代ギリシャのイデア学派も、20世紀末の中国で自分たちの考えがゴミ扱いされるだけでなく、見ず知らずの林彪反党集団の反革命与論に利用されようとは、想像だにしえなかったであろう。これを逆に考えるなら、古代以来の西洋哲学の流れを「反動哲学のゴミ」とまで言い切ってしまう当時の中国哲学界の“蛮勇”に恐れ入るばかりだ。《QED》