樋泉克夫教授コラム
~川柳~
《去地獄 鶴立群鶏 容国団》⇒《世界一 飢餓情報を 吹き飛ばす》
*59年4月の西ドイツにおける世界卓球選手権で容国団は中国人選手として初の世界チャンピオン。かくて世界の耳目は大躍進の失敗から逸らされてしまった
【知道中国 621回】 一一・八・仲八
――コイツら人民じゃネェ、反革命だ、粛清しちまえ
『五四以来反動派、地主資産階級学者尊孔復古言論輯録』(人民出版社 1974年)
1919年6月、北京の天安門広場で発生した五四運動は反日運動であると同時に、反伝統文化、なによりも反孔子=儒教運動だった。国土は列強の蚕食するに任せる一方、軍閥は横暴の限りを尽くす。人民は塗炭の苦しみのなかで腹を空かせるばかり。何よりもダメな中国。中国は中国だからダメだ――こんな議論の先に思い至ったのが、中国を中国たらしめている根本原理である儒教秩序への疑念だ。かくて「打倒孔家店(孔子商売を打ち倒せ)」と中国史上空前の批孔運動へと発展としていった。
それから半世紀ほどが過ぎた70年代初期、中国では突然、林彪批判に絡めて孔子批判運動が湧き上がった。この本は、この批林批孔運動の最中に出版され、書名にみられるように五四運動以来の「反動派、地主・資産階級の政治家や学者」が孔子を賛美し復古を求めた片言隻語を集めたもの。まあ、有態にいって“言い掛かり”でしかない。
全体は「一、五四運動前後(9人)」「二、第一次国内革命戦争時期(5人)」「三、第二次国内革命戦争時期(10人)」「四、抗日戦争時期(12人)」「五、解放戦争時期(4人)」「六、社会主義革命時期(10人)」の6つの部分に分かれ、それぞれの時期を代表する有力者の発言に加え、ソ連修正主義(4人)、アメリカ帝国主義(2人)、日本帝国主義分子(2人)の孔子に関する「反動言論」が附録として収められている。
それぞれの発言内容も興味深いが、なによりも面白いのが発言者に関する簡単な紹介文だ。たとえば蒋介石は「『四書五経』は『永久不変の原則だ』と大々的に宣伝鼓吹し、反共・反人民・反革命こそが『仁を行うことである』と絶叫し、孔孟の道を濫用してファシスト統治を徹底した」とのことだ。
この本に納められた紹介文のなかでは最長が林彪で、「ブルジョワ階級の野心家、陰謀家、反革命両面派、叛徒、売国奴。読書せず、新聞を読まず、マルクス・レーニン主義を全く知らず、中国古代文化についても全くの無知である。だが、嘘っぱちな雅な文章を捏造し、嘘八百を並べ立て、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想への悪辣な攻撃を繰り返し、プロレタリア階級の独裁を転覆し資本主義制度を復辟させ反革命与論を盛んにデッチあげた。儒家の学説は『歴史的唯物主義』であり、『人事関係』を処理するための正確な定めである、と吹きまくった」とされる。つまり林彪は、無知蒙昧の野心家でしかなかったことになる。
アメリカ帝国主義から選ばれた2人のうちの1人である拉鉄摩爾(オーエン・ラティモア)は「アメリカの反動歴史学者。国際的スパイ。かつて蒋介石の政治顧問を務め、孔子を『教導』性を持った大思想家だと持ち上げた」とされるが、ラティモアは共産党のスパイと目されているだけに、その共産党から「国際的スパイ」と“指弾”されたからには、やはり本当のスパイだったに違いない。我が国では塩谷温が「反動的“漢学”の権威」、室伏高信は「元朝日新聞記者。孔子思想を濫用し反マルクス主義の伝播を画策」とのことだ。
奇妙に思えるのが、「六、社会主義革命時期」で扱われている劉少奇以下の10人の発言のすべてが1962年になされていること。この頃、大躍進に大失敗した毛沢東の影響力は低下の一途。ということは、当時の共産党幹部が「赤信号、みんなで・・・」とばかりに揃って孔子に託けて毛沢東を批判したということだろう。かくて毛沢東の恨みが骨髄に達し彼らは文革で血祭りに挙げられてしまった。毛沢東に疎まれたら、一巻の終りデス。《QED》