樋泉克夫教授コラム
川柳>>>>>>>>>>>
《罵対方 叛徒瘋子 無規律》⇒《お互いを 口汚くも 罵って》
*中ソ両共産党は、互いに相手を国際共産主義運動における叛徒だ、いや瘋子(きちがい)だと悪罵の限りを尽くした。昨日まで「兄弟党の鉄の友誼」を誇っていたはずだが・・・。
【知道中国 631回】 一一・九・初二
――「一人の死は悲劇だが千人の死は統計値にすぎない」
『密閉国家に生きる』(バーバラ・デミック 中央公論新社 2011年)
「公的な食糧配給システムが機能しなくなったとき、彼らはなんとか食を確保するために、創造力のありったけをしぼり出すことを余儀なくされた。バケツに紐をつけて野山の小動物を捕まえる罠を考案し、露台に網をかけてスズメを獲ろうとした。どの植物が何の栄養になるかを独学した。過去の飢饉に関する集団的記憶を掘り起こし、祖先がみにつけていた生き残りのテクニックを思い出した。
松の樹皮の内側のある甘い部分をはぎ、それを細かい粉にして小麦粉の代わりにする」
「(彼らは)プライドを捨てて鼻をつまんだ。彼らは家畜の糞の中から未消化のトウモロコシをつまみ出した。造船所の労働者は、食糧が積んであった船底をこそいで集めた、悪臭を放つ泥状のものを屋根で干し、わずかな米粒や他の食糧のおちこぼれを集めた」
「女たちは調理のコツを交換した。トウモロコシの粉を作るときには、皮も穂軸も葉っぱも茎も捨ててはいけません。それを全部粉砕機にかけえましょう。栄養価が低くてもお腹の足しにはなります。麺類をゆでるときは少なくとも一時間は煮込んで、見かけを増やしましょう。スープは雑草の葉を数枚入れておくと野菜が入っているように見えます」
「豚にとって毒じゃなければ、人が食べても平気でしょう」
だが、飢餓状態は深刻さを増すばかり。いよいよ生き地獄である。
「飢饉に見舞われて、人々は単に餓死に向かうだけではない。それ以前に何らかの病気を誘発することが多い。慢性的な栄養失調によって感染に対する抵抗力が低下したり、飢えは結核や腸チフスにつながりやすい。体内の化学変化が急激だと、脳卒中や心臓発作を引き起こすことがある。肉体が消化できない代用食品を食べて死ぬこともある。飢餓は表立たない死因であって、変哲もない統計数字の背後に隠れていることがある。ただ単に、ある時期だけいつもより死亡率が高かったという意味の、『超過死亡率』という状況証拠を残すだけなのだ」
「死神は典型的パターンで犠牲者に襲い掛かった。最初が一番か弱い、五歳以下の子どもたち。親たちが救いの手を求める前に、子どもは死んでいた。次に高齢者たち。手はじめは七〇以上の老人、次に一〇歳刻みで六〇代、五〇代の人々へと順に襲いかかっていった」
「大人たちが子どもをつかまえているという奇妙な噂もあった。性的虐待のためのみならず、食料として」
「そしてまた、不条理としか言いようのない惨劇があった。他人の食べ物には手をつけず、嘘やだましとも無縁な、法を遵守し友人を裏切らない罪なき善人が、犠牲者になりがちだったのだ」
「死体は共同墓地に送られた。先祖の墓の場所が現世の幸不幸を決定的に左右すると広く信じられている儒教社会においては、恥辱である」
「私たちが愛して憎んだ北朝鮮」の副題を持つこの本は、アメリカ女性ジャーナリストが綴った北朝鮮北部にある港湾工業都市・清津の、90年代半ばの姿である。それはまるで、大躍進がもたらした50年代末の中国の惨状だ。ある北朝鮮女性は、「すでに自分は死んでいて、かつて自分の肉体だったうつろな容器の上を、ふらふらと漂っているだけなのではないかという気がした」と当時を回想する。将軍サマと領袖ドノ・・・嗚呼、偉大也。《QED》