樋泉克夫教授コラム
川柳>>>>>>>>>>>
《陳永貴 大慶油田 王進喜》⇒《大慶の 油田に王は 飛び込んだ》
*63年には大慶油田(60年春発見)から油井掘削隊長の王が”鉄人”として全国デビュー。
毛沢東は「工業学大慶(工業は大慶に学べ)」と全国に大号令。
【知道中国 638回】 一一・九・仲五
――勇ましいだけで、中身は空っぽ
『以階級闘争為綱継続搞好教育革命』(人民出版社 1976年)
槍捍子ということばがある。単なる鉄砲ではなく、毛沢東が説いた「政権は鉄砲から生まれる」の鉄砲、つまり権力を掌握するための鉄砲である。これと好一対をなすのが筆捍子、いわばペンという武器だ。なんの為の武器か。もちろん権力を戦い取り権力基盤を強化・拡大するための武器である。毛沢東は文革初期、劉少奇ら政敵を抹殺するために林彪(=解放軍)を槍捍子、姚文元ら権力志向型の知識人を筆捍子として駆使した。
林彪失脚後に頭角を現した四人組は専ら学者・研究者・ジャーナリストなどを筆捍子に仕立て、権力保持に躍起となった。四人組配下では「梁効」のペンネームを持った筆捍子が有名だ。中国最高学府の北京大学と清華大学の両校に因んで名づけられた梁効(両校と同音)は両大学若手学者に著名学者も加わった数十人で構成され、四人組の庇護の下で特別待遇を受け、専ら政敵潰しにペンを奔らせた。時には一種の密偵役となって“ご主人様”のために全国で情報収集はじめ各種の特殊工作を展開したともいわれる。
この本は四人組配下の筆捍子による論文を集めたものである。出版された76年2月は毛沢東の死の7ヶ月で、四人組逮捕の8ヶ月前。毛沢東は植物人間一歩手前の状態だったはず。だとするなら四人組としても政権基盤固めに躍起となっていた時期ではなかろうか。
梁効は「教育革命与無産階級専制(教育革命とプロレタリア階級独裁)」で、①劉少奇ら毛沢東に反対した実権派が強固に推し進めた旧教育制度はブルジョワ階級が人民を支配するための道具を作りだそうとするものである。②学校はプロレタリア階級独裁を実現するための人材を作る場に改造しなければならない。③教育はプロレタリアの政治に服務すると同時に、生産・労働を結びつかなければならない。④ゆえに共産党は教育革命をより強固に導く必要がある――と主張する。
こんな主張を基調に長短20本の論文が収められているが、それらを総括してみると、
一、修正主義は依然として当面の主要な危険だということを深刻に認識し、労働者階級による学校指導を不断に強めるべきだ。
二、階級闘争の科目を主とし、修正主義に反対する闘争においてマルクス主義の真偽を弁別する能力を高めるよう教育すべきだ。
三、知識分子の世界観改造は急務であり、教師の持つ積極的機能を十分に活用せよ。
四、広範な労働者・農民・兵士に教育機会を与えるべく、大学の門戸開放は堅持せよ。
五、働きつつ学ぶ制度を実行し、頭脳労働を肉体労働の結合を目指せ。
六、生産と科学研究を結合した教育を実施し、広く人材を養成せよ。
七、農村に小規模な学校を建設し、社会主義の覚悟も持つ文化的新型農民を養成せよ。
八、実情に応じ、多様な形式の学校を創設せよ。
九、教育者は教育を施し、教育の中で自らを教育せよ。
十、階級闘争と路線闘争において堅い覚悟を持ち、人民と緊密に結びつき、団結して戦う協力で質の高い指導幹部を養成せよ。
かくして「勝利は永遠に我ら戦闘的プロレタリア階級のもの」になるらしいのだが。
それにしても不思議なのが、「教育革命」を実現するための具体的方策が皆無に近いこと。田舎のなんとかで、掛けゴエばかり。これでは育つものも育ちようがない。いけいけドンドンながら、後は野となれ山となれ。革命とは積極的で革命的に無責任・・・らしい。《QED》