樋泉克夫教授コラム
川柳>>>>>>>>>>>
《軽飄飄 革命模範 闖全国》⇒《国中が 己を捨てろと 喚きだし》
*文革の下準備だろう。全国で為人民服務の模範が作られ、自己犠牲の物語がデッチあげられるようになった。60年代前半のことだ。
【知道中国 640回】 一一・九・仲九
――超大国であれ、所詮は張子のトラにすぎない
『学会使用唯物弁証法』(中央党学校工農兵学哲学調査組編 人民出版社 1972年)
文革盛時ともいえる70年前後、「人民日報」は全国各地の労働者・農民・兵士らが毛沢東の『矛盾論』を学び、日常生活の中で生かし役立てている様子を盛んに報じていた。「学会《矛盾論》例選」の副題を持つこの本は、そんな報告を集めている。毛沢東の哲学は深淵無限だが、難解でも高踏でもない。『矛盾論』を真摯に学ぶことで、人民は日々身の回りで起こるような問題でも解決することができる――これが、この本の狙い。つまり、人民の人民による人民のための『矛盾論』活学活用具体例といったところだ。
その典型例が「どのようにして死水(カラ水脈)から水を汲み出すことができたのか」という表題の報告だろう。それによれば、労働者は地下水脈を掘り当てたはずだが、砂は出てくるが水は揚がってこない。そこで地下水脈と砂の関係は「事物内部の矛盾する2つの関係であり、一定の条件の下では互いに相反する方向に変質する」(『矛盾論』)ことを学んだ労働者は、「大量の砂が堆積した際に砂は主要な矛盾となり、この時、地下水脈は死水へと変質する。机上の学問で問題を捉えると水脈と砂は別個の現象と看做され、地下水脈を枯れたものと誤解してしまう」。かくして「精神こそが物質を変化させる偉大な威力であることを明示し、唯物弁証法で世界を観察すれば、自然界の凡ての『死』んだ現象を新たに認識し改造できることを物語っている」ということになる。
なんのことやらワケが判らないが、当時は『矛盾論』を学習して売り上げを伸ばした道端スイカ売りの爺さんの話が全国に伝えられ信じられたほどだから、全人民が哲学徒に変身し『矛盾論』の学習に励んだに違いない。挙国一致で哲学徒なんて、異状ご過ぎる。
この本の圧巻は何といっても「巨大な化け物と張子のトラ」という表題の報告だ。
「昨年(1970年)は各国で人民の反米闘争の火が燃え盛った。『超大国』と呼ばれるアメリカ帝国主義も業火に焼かれ青息吐息の情況である。まるで『アメリカ帝国主義は一見したところ巨大な化け物のようだが、その実は張子の虎に過ぎない。もはや臨終一歩手前だ』という毛主席のご指摘そのものだ」と恐ろしいばかりに昂揚した調子の報告は、「(『矛盾論』で説かれている)世界における一切の事物が両面性(対立と統一の規律)を持たないわけはないと同じように、帝国主義と一切の反動派は両面性を持つ。それが本当のトラと張子のトラということだ」と続き、かくして「革命を推し進める人民にとって帝国主義の両面性に対する認識は、自らの闘争を実践するうえで極めて重要なことだ」と説く。
さらに「人民は必ずや勝利し、アメリカ帝国主義は必ずや敗れ去る。これは歴史の発展における必然的な趨勢」ということになり、「アメリカ帝国主義は全世界人民の共同の敵であり、侵略の毒爪が何処にどのように伸びようと、その矛先は全世界の人民に向いている」。「革命的人民は闘争の過程で絶え間なく発展し強大になり、勝利から勝利に向かい、最終的には帝国主義反動を徹底して埋葬するという目的を達成する」。だから「全世界の人民は団結し、拳を固く握り締め、張子のトラにすぎないアメリカ帝国主義を断固として粉砕せよ」と結論づけられる。
「まさに共産党の哲学は闘争哲学であり、階級闘争は停止することなく、革命は継続されなければならない」と結ばれているこの本は、毛沢東思想によるアジテーションだ。
それにしても多くの矛盾に溢れかえる金満中国を『矛盾論』に基づいて分析すれば、「巨大な化け物」に見えるが、であればこそ「張子のトラ」ということになりますかネ。《QED》