樋泉克夫教授コラム

川柳>>>>>>>>>>>
《改京劇 否定旧劇 三突出》⇒《さあみんな 唱って踊って 革命だ》
*「旧い京劇をぶっ潰せば革命が出来る」といきり立つ江青は、毛沢東と二人三脚で歴史と伝統の全面否定を掲げ、権力の高みを目指し突き進む。文革は目の前だ。
  【知道中国 642回】           一一・九・念三

      ――「中国の昨日と一昨日を理解しなければならない」

      『中国的古代文物』(尚博青編 上海人民出版社 1975年)

 表紙を開くと、「歴史遺産の学習においてはマルクス主義の方法を用いて批判的に総括すること。これが我われの学習のもう1つの任務である。我われ民族は数千年の歴史を持ち、その特徴を持ち、そして数多くの貴重な遺産を持つ」との『毛主席語録』が掲げられている。続く「編者的話」は冒頭で「偉大なる領袖の毛主席は、1人の革命者が当面の任務を立派に成し遂げるためには『中国の今日を理解することはもちろん、中国の昨日と一昨日を理解しなければならない』と常に我われを教え導く」と説くと同時に、この本によって「後世のデッチ挙げ、誤り、論争に終止符を打つ」と高らかに宣言してみせる。

 どうやら少年を「1人の革命者」として仕立てるために歴史を学ばせ、「我われ民族」の誇りを植えつけたいらしい。つまり革命のための歴史学習である。そこで検討すべきは、「後世のデッチ挙げ、誤り、論争に終止符を打つ」べく彼らが持ち出す“論拠”になろうか。

 この本では周口店、敦煌莫高窟、シルクロード、紙の発明、印刷術の変遷など20項目が取り上げられているが、たとえば「奴隷社会における『万人坑』」を取り上げてみたい。

 1950年、河南省の農村で古代の商王朝後期の大規模な墓が発見された。商代は奴隷制社会であったが故に、この墓は「奴隷社会統治階級の犯罪行為の縮図」である。「総面積340平米、容積1615立方米、深さ8.4米」を建設するには、「どれほど多くの奴隷の血が流されたか判らない」。奴隷所有者の棺の周囲には「武器を持った奴隷が埋葬されているが、死んだ奴隷所有者を『守護』するために活きながら埋葬された奴隷であることは明らかだ」。「当時は、奴隷所有者が死んだ後、ご主人様のために一群の奴隷を殉死させた。奴隷なら老若男女、小さな子どもまでが、この運命から逃れることは出来なかった」。「彼らは殺された後、真っ直ぐに、横向きに、仰向けに、うつ伏せに、時には頭部を切り落とされて埋葬された」のである。

 この墓の場合、200体を超える奴隷の遺体が埋葬されていたが、「そのほか、奴隷制社会の『礼』に従って」、毎年、「一群の奴隷を殺して供物とした」。「奴隷所有階級は生前には威張り散らして奴隷を圧迫し、死んだ後にも奴隷を殺し仕えさせた」。この墓こそ「奴隷階級が残酷・無慈悲にも奴隷を屠殺下した『万人坑』である」そうだ。

 ここで万人坑に注目して貰いたい。じつは万人坑とは、多くの遺体を一緒に葬った一種の共同墓地を指すに過ぎない。中国では自然災害の犠牲者や行き倒れ死体が多く、明代頃から都市の富豪や慈善家が善堂と呼ばれる組織を作り、都市近郊や災害地に大きな坑を掘って、大量の死体を埋葬していた。つまり万人坑には政治的意味合いはない。行路死人、災害犠牲者が多かった地域には、それだけ万人坑が多く掘られたわけだ。万人坑を日本の侵略に強引かつ単純に直結させる考えは、「後世のデッチ挙げ、誤り」と指摘したい。

 いわば万人坑の3文字に接するとまるで条件反射のように「日本軍の蛮行・犯罪」を思い浮かべ、「謝罪」の2文字に金縛り状態に陥ってしまうことが、「中国の昨日と一昨日を理解しなければならない」という毛沢東の教えに反することか、容易に判るだろう。

 今後、日本侵略に結び付けて万人坑が持ち出されたら、それはどの時代に、どのような社会的背景の下に、誰が掘ったものなのか。根掘り葉掘り聞いてみたいものだ。《QED》