樋泉克夫教授コラム
川柳>>>>>>>>>>>
《高大全 好人好馬 上三線》⇒《人民よ 米ソと一戦 交えるぞ》
*1964年8月、毛沢東は米ソ両大国との戦争準備工作を指示。東部(一線)、中部(二線)の沿海や大都市に集中する工場を西部(三線)に移築し、戦略後方を建設せよと大号令を掛ける。
【知道中国 644回】 一一・九・念七
――文革は奇跡だ・・・これこそ“毛沢東マジック”です
『紅水河歓歌』(広西自治区徴文弁公室編 広西人民出版社 1973年)
この本は広西チワン自治区内の労働者・農民・兵士が作った103編の詩を集めたもの。編者の解説によれば、103編の詩は「偉大な毛主席と毛主席のプロレタリア階級路線の偉大な勝利を唱いあげ、広西の社会主義革命と課会主義建設路線の壮麗な姿を反映し、広西の各少数民族人民の多種多彩な闘争生活と各々の職場職域戦線における英雄人物の姿を描写している」とのこと。そこで「我要看呵我要飛(私は見たいんだ、飛び跳ねたいんだ)」と題する詩を全訳し、編者の主張のなんたるかを推し量ってみたのだが・・・。
――恨みの炎は燃え盛り、流れる涙を乾かせる。尽きぬ恨みの旧社会、口に含むは困苦の水で、身に受けるのは苦労の罪。
三つの年にはしかを病めば、母ちゃんの心は砕け散る。カネがなければ医者にもいけず、一家は今日すら生きられず、奈落の底に突き落とされた。あの日から、真っ暗闇の人生を運命付けられ生きてきた!
涙を流す母ちゃんの、打ちひしがれる父ちゃんの、売られていった姉ちゃんの、乞食に出かけた兄ちゃんの、姿を目にすることもできゃしない。吹き荒ぶ風の音、雨漏りの音、金貸しの家の猛犬の呻き声、借金取りの足音、耳にするのはそればかり。天は真っ黒な重石となって頭上に覆いかぶさり、地は煤けた鍋底のように真っ黒だ。年がら年中みる夢は、あの真っ赤な太陽の耀ける光。
忽ちにして大地に春雷の響きを聞いた。三つの大山を打ち砕き、春風は木々に鮮やかな鉄の花を咲かせ、紅旗は貧乏人の涙を拭い去った! 両の目をそっと撫でると、まるで死から生還したように。目は見えないが志は挫けない。心の裡に太陽が昇る。翻身苦訴会に出かけ、地主の万悪の罪を訴えた。千年も奪われていた土地が我が家に戻り、合作化の歌声は清らかに流れ、合作化の足取りは大地をどよもす。大躍進の戦鼓は高らかに打たれる! 嗚呼、十月のサトウキビはどこまでも甘い。我等の生活は一年、また一年と麗しく・・・
文化大革命の嵐が起こり、劉賊(劉少奇)をコテンパンに打ち砕き、ブルジョワ階級の司令部を粉砕し、毛主席が派遣された医療隊が我が村にやってきた。三寸の銀色の針、何種類かの薬草、治療すること三ヶ月で目が開いた。嗚呼、また太陽を目にできる。まるで夢だ! 頭を上げて周りを見回す、ジッと、ジッと。涙を拭いて光を目に――救いの星の毛主席を見た、心の裡に溜まっていた思いは泉の如く湧き出でる・・・
あなたは誰、あの人は誰? 部屋中の顔が微笑む 母ちゃんと叫ぶ、妹を呼ぶ、四つの目が微笑み、心は押さえられない、口は噤んではいられない、ジッと座っていられない、足を動かさずにはいられない。見たいんです、話し掛けたいんです、唱って飛び跳ねたいんです! 飛び回って思いっきり見たいんです。祖国の山、祖国の河、麗しい祖国の姿とたわわに稔る稲穂を・・・声の限りに「東方紅」を唱えば、体に漲る勇気は百倍。北京に向かって心の底から歓呼する――毛主席万歳!万歳!万々歳!
「三つの大山」とは帝国主義、封建主義、官僚資本主義を指し、「翻身苦訴会」とは生まれ変わった新しい社会でも旧い社会で横暴の限りを尽くした地主や資本家の罪業を忘れることなく語り継ぎ、毛沢東と共産党に対し心の底から感謝しようという集会である。
旧社会で辛酸を舐め、遂には3歳で盲目にされた幼子が、毛沢東のお蔭で眼が開いた。どうやら毛沢東は新興宗教の教祖のように奇跡を起こしたようだ。先ずは鰯の頭も信心から。信じる者は救われる・・・でも眉にツバでもタップリと付けないとなあ。《QED》