樋泉克夫教授コラム

川柳>>>>>>>>>>>
《去洗澡 我們牽住 牛鼻子》⇒《ズボンなど 穿かずともいい 水爆だ》
*1964年10月、原爆実験。65年年頭、毛沢東は「原爆保有すべし。水爆完成急ぐべし」と。次いで周恩来は党中央と国務院(政府)を代表し、水爆製造を科学プロジェクトの筆頭に置くよう通達した。

  【知道中国 649回】           一一・十・初五

      ――これはもう正気の沙汰ではありません

      『棗林村集』(李瑛 北京人民出版社 1972年)

 この詩集に収められた54編の詩は、「毛主席の革命路線の指導の下で、目下の我が国の社会主義農村で次々に勢いよく生まれている新しい情況を描いている。著者は棗村の階級闘争と村人による断固とした戦い、火と燃える労働の様を描くことを通じて、農民支援の人民解放軍、老幹部、老隊長、保管員、下放運動に応じ都市からやってきた知識青年、農村人民公社を構成する農民のなかの先進人物を生き生きと描きだし、我が国農村の広範な貧農下層中農の社会主義革命と社会主義建設における英雄的な気概と稔り豊かな闘争生活を反映している」というのが、巻頭に置かれた「内容提要」の説明だ。

 まあ、ゴテゴテと形容詞を虚しく重ねた“革命的四六駢儷体”の文章に呆れもするが、なにはともあれ、あまり過激そうではない2作品を見ておこう。

 先ずは、村人総出で害虫を徹底して駆除しようという「滅虫戦」である。
 「清々しい朝、梢の拡声器が呼び掛ける。村を挙げての一大戦争がはじまった。/大きく目標が記された紙が高々と掲げられ、人々の心は火のように燃え上がる。庭の生垣を早く刈れ、風除けを取っ払え。地面に目を凝らせ、庭を見逃すな、大人は背負い、子どもは抱いて、枯れた茎を束ねる。/しっかりと縛り、埋めたり、刻んだり、蒸したり、焼いたり。誰もが心に思う、『一匹たりとも害虫は逃がさない』/群れ集う村人を割って小さな一輪車がやってきた、おやッ張爺さんだ。70近いが老人じゃない。ズボンの裾をたくし上げ、枯れた茎をイッパい運ぶ。車を押しながら大声で、『昔から、害虫は天が下すから、百姓(わしら)にゃ到底かなわねえ。どうにもこうにもなりゃしねえ。だがよ、さあ来い。来てみやがれ。人民戦争の威力はでかい。見つけたら最後よ、一匹たりとも逃がしはしねえ、わしらの社会主義の新しい苗を食い尽くさてたまるかい・・・』/夜の帳が下り、梢の拡声器が伝える。耳を澄ますと、我らの戦果を報じている」

 思い起こせば、この時より10数年の昔、全土を挙げて雀駆除に狂奔したことがある。収穫物を掠め取って食べてしまう雀は害鳥だ、というわけだ。ありとあらゆる手段を使って雀殲滅作戦を展開した。だが、じつは雀は害虫を食べてくれる益鳥であることに思い致ることはなかった。かくて赫々たる戦果を挙げたものの、結果的に害虫が全土にはびこる。この苦い教訓を、彼らは忘れたようだ。滅虫戦の結果、益虫もまた駆除されただろうに。

 次は長編の「微笑み」の最終部分をみておきたい。「70過ぎだがまだまだ若い」農夫が老妻と2人で夜長を、辛かった昔、毛沢東のお蔭で安穏に暮らせるようになった現在、そしてより豊かで輝かしいであろう明日を語り明かす。やがて、「年老いた農夫はむっくと起きて胡坐をかく。シュッとマッチを擦る。紅く燃える炎を高く掲げる。/婆さんが何を照らしてござる、と。爺さんはもう一度、毛主席像(おすがた)をなッ、と。/なんとまあ幸せなこった。他老人家(あのお方)がわしらをお導きになって陽関道(陽の当たる道)を歩かせてくだすったんじゃ。他老人家にも、わしらを見て戴くんじゃ、わしを眺めて微笑んでおられる・・・/夜は深く、人は眠りにつく。涼やかな風・・・夢で歌を唱い、新しい褥で微笑む。棗の花の芳しい香りが村に満ちている」

 全編、毛沢東に対する歯の浮くようなヨイショの羅列。率直に言ってバカ丸出し。将軍サマの北朝鮮と五十歩百歩といったところ。真顔で読み通せないことは確かデス。《QED》