樋泉克夫教授コラム

川柳>>>>>>>>>>>
《牛鼻子 埋在沙堆 焦裕禄》⇒《英雄が 造られるごと きな臭く》
*1964年5月14日、災害に率先垂範して立ち向かった河南省蘭考県党書記の焦裕禄死去。享年42歳。「為人民服務の英雄」として全国で学習キャンペーン開始。文革への序曲であった。
  【知道中国 650回】           一一・十・初七

      ――徳と礼を失すれば、恥なくて且つ格(ただ)しからず

      『《論語》選批』(上海人民出版社 1975年)

 批林批孔運動の最中に出版されただけに、この本は『論語』を孔子の「反動言行録」であり、「歴代反動派が人民を統治するための道具」と位置づける。そして、「毛主席自らが発動し指導する批林批孔運動の過程で、我われ上鋼五廠二車間の労働者は『論語』に対し批判を繰り返してきた」。そこで上鋼五廠二車間工人理論学習小組によって、この本は執筆されたということだが、理論学習小組(班)を名乗ってはいるものの上鋼五廠二車間工人、つまり上海鉄鋼第五工場第二作業場の労働者である。別に偏見を持っているわけではないが、はたして労働者が『論語』など読んでいたのか。首を傾げざるをえない。

 この本は、『論語』から有名な17ヶ所を選び出し、彼ら理論組が「労働者・農民・兵士・研究者、革命的教師と理論工作専門家の支援を受け、広範な労働者・農民・兵士の意見を求め」批判している。その結果、「党の指導の下、我われ労働者階級と広範な革命大衆は孔孟の道というゴミカスを肥料にすることができる」とのことだ。

 たとえば旧来からの伝統的解釈では「老先生(孔子)が教えるところでは修養を積んだ君子たる者は義、つまり道理を理解し、知識しか知らない小人は損得で物事を判断する」とされる「子曰く、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」(「里仁 第四」)は、この本では林彪の言行と絡めて以下のように厳しく糾弾されることになる。

 ――孔子のバカタレは「君子は大義を明白(あき)らかにし、小人はただ小利を知道(し)るのみ」と口にしているが、これは奴隷所有者や貴族を美化し、労働人民と新興地主階級を汚し侮蔑するものだ。孔子ヤローは没落する奴隷所有者の番犬であり、そんなヤツの口にする「義」なんぞは実質的に奴隷所有者にとっての「利」でしかない。つまり奴隷制社会を生き返らせ、奴隷所有者と貴族が持っていた一切の政治的・経済的特権を取り戻そうというのだ。広範な奴隷と労働人民は、奴隷所有者の圧迫と搾取に人生を苛まれ尽くし、いつ飢え死にするかもしれない恐怖の日々を送り、生死の境でもがき苦しんでいる。にもかかわらず孔子ヤローは、彼らを「小利」を知るのみと口汚く罵る。だが、孔子などというバチ当たりは心の中には己の利益しか持たない強欲極まりない偽善者であることを、事実が証明している。

 林彪は孔子ヤロー式の偽善者にすぎない。ヤツは自分が願っているのは「共産主義」だとホザき、労働大衆は「どうすればカネ儲けができるのか」「如何にメシにありつくことができるのか」などということしか考えていないと侮蔑するが、その実、ヤツの思想や政治生活からはじまって日常生活まで、徹頭徹尾ブルジョワ化し、腐れきっている。

 林彪が画策したのは修正主義、資本主義、売国主義であり、我われ労働者階級が考え、挺身しているのはマルクス主義、社会主義、愛国主義、国際主義だ。我らの任務は革命をしっかりと捉まえ、生産を促し、中国革命と世界革命により大きな貢献をなすことだ――

ここに一例を挙げたように、この本には何回読んでも言い掛かりとしか思えない屁リクツが満載されている。孔子と林彪と中国革命と世界革命を一緒くたに論ずるなどという荒唐無稽な“荒業”は、毛沢東思想の真髄を極めたからこそ可能なのだろう。それにしても、である。孔子を「至聖」と崇め奉ってきた二千有余年の精神史、林彪を「毛主席の親密な戦友」と賞賛し挙国一致で狂喜乱舞した文革初期の数年間は、いったい何だったのか。絶対矛盾も牽強付会も一向に意に介さない鈍感力には、ほとほと頭が下がります。《QED》