樋泉克夫教授コラム

川柳>>>>>>>>>>>
《焦裕禄 海瑞罷官 新風騒》⇒《この風は 疾風怒濤の 前触れと》
*1965年11月10日、上海の新聞が「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」を掲載。これが、狂気の文革時代への幕開けだった。
  【知道中国 651回】            一一・十・初九

     ――同志諸君、昼からビールをグビッと。ツマミは文革だ

     『霊壁夜談及其他』(上海人民出版社 1976年)

 この本は、文革期に刊行された理論雑誌の『学習与批判』に連載された「社会調査」と題した報告を収めている。記者がバス会社、水道会社、製鉄工場、デパートなどの色々な職場を訪れ、関係者に直接取材し、従業員が如何に毛沢東思想を学習し、人民のためを考え抜いて働いているかを綴った文革式感動秘話だ。どこが、どのように感動モノなのか。そこでイチバン感動した「人民飯店為人民(人民食堂は人民のために)」を紹介し、毛沢東思想の柱である「為人民服務」のナンたるかを、実態に即して考察してみよう。

 上海の繁華街の南京路に余り目立たない店構えの人民食堂がある。大躍進期に繁盛し、文革でさらに名を挙げたそうだ。昼時の客でごった返していた店内で店の党支部書記にインタビューすると、厨房も含め6,70人の従業員で毎日5000人以上の客を捌くという。ちょうどその時、記者の横をビールを半分注いだコップを持った店員が通り抜けた。客のために半ビール、半ライス、半うどんなどの「半メニュー」を提供し好評だったことから、新たに3分目の大衆スープ、6分目の青菜炒め、8分目の糸昆布和えなど「分割メニュー」も加えた。低価格ではあるが、味に手抜きはない。客の要望を全面的に取り入れ、厨房だけでなく従業員全員で日々、工夫に工夫を重ねているそうだ。

 安くて旨いことから一番人気の肉豆腐だが、ある時、豆腐が少し酸っぱいという苦情がでた。そこで厨房の共産党員の老コックを先頭に頭を捻る。豆腐を水でよく洗い流し、いったん熱して使ったところ酸っぱさは消えた。だが、今度は炒め過ぎて豆腐がグジャグジャに崩れて不味い、と。そこで炒める鍋を小さいのに変えると、次は炒めすぎで豆腐の香りがしない、と。そこで老コックは悩んでしまった。「旧社会では自分も多くの労働者も苦しく惨めな生活を余儀なくされた。だが、いまや店のドアーは労働者・農民・兵士に向かって開かれている。階級兄弟(はたらく仲間)のために料理を作ってるんだ。低価格であろうと、プロレタリア階級の心情で料理を作らんとな」と決意した彼は、仲間と試行錯誤の末に、肉豆腐に熱い葱油を掛けることで最高の味をだすことができた。

 この話に感動した記者は、「人民食堂では低価格料理で最高の味を生み出した。1皿の料理、1椀のスープにも熱く燃えるプロレタリア階級の連帯の情が注がれている」と綴る。
 客の事情を考慮して料理の値段は細分化されているが、味にもサービスにも違いはない。客の顔と料理の値段で態度を変えるなどという「ブルジョワ階級の商法と法権思想」など、この店にはありえようがないのだ。

 箸の持てない客には口まで料理を運んでやり、車椅子の客は混んだ1階を避け静かな2階まで運び上げゆっくりと料理を味わってもらう。こんなきめ細かな接客態度に感激した客は、「解放前なら、我われのような身体障害者は道端に蹴り倒されていた。いま、この新社会で、到るところで社会主義の温かさを存分に味わっている」と感涙を流す。

 かくして「温かさの源こそ、毛主席の革命路線と優れた社会主義制度から来ている。我らの偉大な社会主義の祖国では、それぞれの戦線の同志が毛主席の教えである『為人民服務』を実践している。この訪問記こそが、その見本だ」と結んでいる。だが人民食堂での起こったことは、「毛主席の革命路線と優れた社会主義制度」とは無関係な、サービス業としては当然の企業努力だろう。カミサマは毛沢東ではありません。お客様です。《QED》