樋泉克夫教授コラム

川柳>>>>>>>>>>>
《新風騒 多辞謬説 荒誕劇》⇒《覚悟せよ 地獄の時代の 幕が開く》
*1966年夏、いよいよ血で知を洗う「魂の革命」がはじまる。
  【知道中国 652回】           一一・十・仲一

     ――中華人民共和国は超弩級の劇場国家です

     『証照中国:1949-1966』(許善斌 華文出版社 2007年)

 著者は「収集旧紙片的老漢」という肩書きの名刺を持つ退職ジャーナリストだという。
なんでも北京の骨董市を歩いては「旧紙片」、つまり過去に中央政府や地方政府などの公的機関が出した様々な証明書、ビラ、招待状、衣糧切符などを収集しているそうだ。この本は、庶民が日常的に手にした史料価値など全くなさそうな“紙っペラ”を49年以来の政治・社会の流れに沿って配し、解説し、建国以来の歩みを振り返ろうというものだ。

 こう書くと、この本がクソ面白くもない市井の懐旧談と思われそうだが、じつは古ぼけた“紙っペラ”から、これまで日本人が知ることのできなかった、あるいは見過ごしてきた歴史の真実が浮かび上がってくるから面白い。そこで、なにはともあれ実例を。

 先ずは「思想改造学習動員大会」と印刷された入場券。発行元は華東学習委員会。会場は上海交通大学の講堂で、開始時間は1月16日午後1時半。座席は4列目の3番。「入場時間厳守・早退不可」に加え「この券を保存し後の検査に備えよ」との注意書き。入場券には所持者の名前と所属先が手書きで記されている。

 おそらく50年代半ばに全国で展開された思想改造学習大会の入場券だろうが、座席が指定された上に半券の持ち主の所属単位と名前が書き込まれているわけだから、欠席は許されないことになる。かりに欠席した者が後に手持ちの半券を証拠に出席を主張しようが、主催者側に残りの半券がない限りサボったということになる。これまで政治的熱気のままに政治集会への動員がなされたように思ってきたが、欠席は許されない仕組みだった。どうやら集会主催者側の完全管理下で整然と計画的に行われていたことが判る。

 完全管理下といえば、57年11月24日午前8時半から12時半と翌25日午後2時から6時までの2回、北京の御家橋正義路にある共産主義青年団講堂で行われた「批判右派分子儲安平大会(右派分子儲安平批判大会)」の入場券は注目だ。

 儲安平は著名なジャーナリスト。建国に功績のあった中国民主同盟副主席で北京の有力紙「光明日報」総編輯。毛沢東が知識人に自由な発言を求めたところ、独裁傾向を強める共産党を「党の天下(党天下論)」と批判した。かくして右派分子と糾弾され、大会に引きずり出され満座のなかで批判の連打を浴びて、彼は失脚している。ついでにいうなら、文革開始直後に紅衛兵の襲撃を受け行方不明となり、死体も確認されていない。

 改めて入場券を見ると、「主要発言人名単及題目」とあり、「①許徳珩:党が一貫して堅持してきた統一戦線政策から儲安平の『党天下』の謬論を批判する」からはじまり「⑤黄卓明:儲安平の反動的新聞経営路線を批判する」「⑨李祖蔭:国家制度から儲安平の『党天下』の謬論を批判する」「⑩孫定国:党の指導と人民民主独裁問題について」を経て「⑪労働者、農民、学生など各基層代表の発言」まで、批判する人物の名前と内容が記されている。光明日報社主催の大会だから、許徳珩以下は同社関係者と考えて間違いないだろう。

 満員の共産主義青年団講堂の舞台中央に儲安平が引きずり出されるや、野次と怒号が渦巻く。やおら批判者が舞台中央へ。会場の熱気が彼の背中を押せば、批判の口調は厳しさを増す。激しい批判に会場が沸くほどに批判の毒は増し、批判される者の自尊心はズタズタに切り裂かれ、批判する者は心に深いキズを負う。同僚だった2人の関係は元に戻らない。他人の不幸は密の味。批判芝居の残酷な終幕を振り返りつつ、参加者は家路を急ぐ。

 共産党の歴史は計算され尽くした政治運動の連続・・・恐るべし、人心操縦技法。《QED》