樋泉克夫教授コラム

川柳>>>>>>>>>>>
《荒誕劇 矯言偽行 整人詩》⇒《国挙げて 揚げ足取りに 言い掛かり》
*文革時、言い掛かり、揚げ足取りで他人に罪をなすりつけ血祭りに挙げることで、我が身を守ろうとした。
  【知道中国 653回】            一一・十・仲三

     ――これを“中華数千年の歴史”が生んだ馬鹿力(ばかりょく)という

     『証照中国:1966-1976』(許善斌 華文出版社 2009年)

 この本は『証照中国:1949-1966』の続編で、扱っている時代は文革時の10年間。ならば面白くないワケがない。

 なにを措いても紹介したいのが、真っ赤な紙に印刷されに「朝晩敬程序」である。末尾には「新余県薬材公司 一九六八年四月十八日」と記されているから、その薬材講公司で朝の始業時と夕方の終業時に行われていた儀式の式次第だろう。そこで全文を訳してみた。

一、偉大な領袖・毛主席に向かって敬礼。

二、一同唱和:毛沢東思想は我らの革命の根っこである。我われは共に偉大なる導師、偉大なる領袖、偉大なる統帥、偉大なる舵取りである毛主席の万寿無疆をお祈りするぞ! 万寿無疆!! 万寿無疆!!! 毛主席の親密な戦友である林副主席の健康を祈るぞ! 永遠に健康で!! 永遠に健康であれ!!!

三、革命歌斉唱:朝は「東方紅」、晩は「大海渡るには舵取りが要る」

四、一同唱和:我われの林副主席が我われを教え導くところでは、(以下、再版前言一、二段暗唱)

五、最高指示の学習

六、毛主席に向かって宣誓:我われは永遠に毛主席の本を読み、毛主席の話を聞き、毛主席の指示を行い、毛主席の立派な学生になります。

七、シュプレヒコール:永遠に毛主席に忠誠を誓うぞ。永遠に毛主席の思想に忠義を尽くすぞ。永遠に毛主席のプロレタリア革命路線に忠純であれ。

八、(リーダー)完全に徹底するぞ。(一般)人民に服務するぞ」

 ここで若干の説明を加えると、「一」には「毛主席に向かって敬礼」とあるが、職場の最も神聖な場所に掲げてある毛沢東の像か肖像画に向かっての敬礼に違いない。「二」の符号は「!、!!、!!!」と段階が上がっているが、徐々に声を大きくしていったはず。その昔、永遠の長寿を祈るのに皇帝には「万々歳」、皇后には「千々歳」と呼びかけたが、毛と林の間に「万寿無疆」と「永遠の健康」の差があるが、その名残だろうか。「三」の歌は、共に当時は狂気のように唱われた毛沢東賛歌。「四」は、おそらく「林副主席・・・導くところでは」と唱和した後、『毛主席語録』の再版前言を暗唱したと思われる。「五」の「最高指示」とは、「毛主席のおことば」だ。「六」の毛主席も「一」と同じで毛沢東の像か絵。「七」は説明の要なし。「八」は職場のリーダーのリードによる全体決意表明だろう。

 これだけの儀式を始業時と終業時に、しかも毎日繰り返すのだから、どう考えても、いや考えなくても正気の沙汰ではない。己を虚しくしない限り、マトモな人間には耐えられないはず。だが一瞬でも唱和や歌唱の際に力を抜こうものなら、毛沢東の絵を見てニヤつきでもしようものなら、暗唱の1字でも忘れでもしようものなら、忽ち「毛主席、林副主席に刃向かう反革命分子」として糾弾され、監獄へ送られてしまう仕組み。だから、やはり油断も隙もあったものではない。友よ明るい明日はない。夜明けは遠・・・かった。

 そこで、心の内を他人には見透かされないように敬虔な毛信徒を装い、熱狂的に「朝晩敬程序」を演じた者もいただろう。だが、バカを装っていると本当のバカになる。朝晩演じ続ければ、やがてホンモノの毛信徒に変じてしまうのだ。恐るべし、人心収攬技法。《QED》