樋泉克夫教授コラム

川柳>>>>>>>>>>>
《整人詩 詐巧虚偽 去坐忘》⇒《今日もまた ウソ八百で 生き延びる》

  【知道中国 654回】           一一・十・仲五

      ――焚書坑儒は時代の逆戻りを許さない崇高な任務・・・だそうな

     『秦始皇的故事』(呉駿 上海人民出版社 1975年)

 中国最初の統一王朝である秦を打ち立てた始皇帝が断行した焚書坑儒は権力による学問・思想の弾圧と糾弾され、21世紀の現在でも甚だ芳しくない。だが、批林批孔運動が激しく展開されていた時代に出版されたこの本では、時代を後戻りさせてはならないという始皇帝の断固たる決意の下に行われた大英断と手放しで評価されている。

 幼少年世代に“正しい歴史”を学習させようと編集された「少年児童歴史読物」シリーズの1冊であるこの本によれば、始皇帝は「我が国古代の新興地主階級の傑出した政治家であり、法家を高く評価し、儒家に反対し、暴力によって中国全域において奴隷制を復活させようとした勢力を掃蕩した偉大な法家である。中国の統一を断固として堅持し、分裂に反対し、我が国の歴史において最も早い時期に多民族による統一された中央集権国家を創建した最初の人物である。時代を前進させ、後退を許さず、政治・経済・軍事・文化などの各領域で大胆な改革の斧を揮った、現実的な専門家」だそうだ。

 始皇帝が生まれたのは「封建制が奴隷制に全面的に取って代わろうとする狭間の時代」であり、「新興地主階級と没落奴隷所有者階級の間で」激烈な闘争が展開されていた。やがて「比較的徹底して政治改革が進められた秦国が、必然的に封建統一を実現するという歴史的重責を担うこととなった」のである。

 13歳で王位に就いた始皇帝は奴隷所有階級出身の重臣を退け、「韓非子が説く法治理論を十二分に重視し、法家を周辺に置いて重用し」政治を行った。全国を統一した後、中央集権政府によって「彼は引き続き農業を重んじ商業を抑える政策を進め、辺境を開発し、水利事業を興し、農業生産を奨励し、工商奴隷所有勢力徹底して打撃を与えた」。同時に度量衡・貨幣制度・文字を全国的に統一し、「統一国家の基礎を強固にし、各地区・各民族間の経済や文化の発展を促した」のである。

 ところが、である。時代に取り残された奴隷所有階級と儒家が結託し、様々な策動を試みる。始皇帝の側近に紛れ込んで「古代の制度は変えることが出来ない。郡県制度を廃して封建制に復すなら、千万代の後まで秦は栄えます」と吹聴するもいれば、都の咸陽で密かに私学を経営し反政府活動を進める者もいた。そこで始皇帝は「一、私学開設を禁止。二、国立図書館を除き、個人による儒教関連書籍の所有禁止。三、儒教関連書籍を使って政府を批判する者は斬首」との法令を下した。かくして国立図書館所蔵以外の個人所有の儒教関連反政府書籍が摘発され焼却処分に遭った。これが焚書である。

 だが「これで認識における闘争が幕を閉じたわけではない。革命である以上、一握りの反動儒家の反抗は続く」。彼らは地下に潜行し徒党を組んで、秘かに武装蜂起を企てる。そこで彼らを逮捕するのだが、都への護送途中、人民から「こいつらゴキブリを埋めてしまえ」「あの世の孔子のところに送り届けてやれ」などと声が挙がった。人民の怒声のなかで、彼ら反動儒家は生き埋めの処分を受けることになった。これが坑儒ということになる。

 この本は、焚書坑儒を奴隷制社会への回帰を企む反動勢力に対する「当時の人民の賛成と支持を受けた」始皇帝の正しい措置と位置づけた。いいかえるなら、「広範な人民の要求と願望、前進しようとする歴史の趨勢に合致」しない学問・思想を存在させてはならないのだ。自らに不都合な学問・思想の抹殺は正しい。これを】彼らの歴史認識と呼ぶ。《QED》