樋泉克夫教授コラム

川柳>>>>>>>>>>>
《竊竊然 怨声載道 我不管》⇒《過激さに 煽られ敵を でっちあげ》

  【知道中国 659回】           一一・十・念五

      ――すべては毛沢東にはじまる・・・へーッ、そういうもんですか

      『中国哲学史講話』(尹・孫・方・張 人民出版社 1975年)

 この本は、70年代前半に「農山村に出かけて労働から学ぶ知識青年、広範な労働者・農民・兵士、基層幹部のために」出版された「哲学社会科学基礎読物」という叢書の1冊だ。

 「哲学社会科学基礎読物」叢書は「マルクス主義、レーニン主義、毛沢東思想に基づき、判りやすい文章で哲学、政治経済学、科学的社会主義、中国史、世界史、哲学史、論理学などの基礎的な理論と知識とを努めて簡明に解説し、読者によるマルクス、レーニンの著作や毛主席の著作学習を手助けし、階級闘争と路線闘争に対する覚悟を高める」ことを目的に出版されたとのこと。これを簡単に言いかえれば、この叢書は若者を毛沢東の革命サイボーグに改造するための教科書ということになるわけだ。

 この本は「我らの偉大なる祖国は世界の他の国と同じように長く変化のない原始社会を経て、紀元前21世紀頃に樹立された夏王朝によって奴隷制社会に進んだ。以後、商、周の2つの時代を経て、政治、経済と文化などの方面で飛躍的な発展を遂げ、世界で最も先進的な文明を持つ旧い国となった」と説き始め、奴隷制社会、奴隷制崩壊と封建形成期(春秋戦国時代)、封建社会(秦から明末清初)、旧民主主義革命(19世紀中葉から20世紀初頭まで)における哲学思想上の「路線闘争」を詳しく説いている。

 いわば2000年を遥かに超える間に中国で生まれた哲学思想を扱っているわけだから、さぞかし複雑で精緻で高尚で高踏的な議論が展開されているかと期待して読み進んだものの、300頁を超す分量に反比例して難解な部分は見当たらない。さすがに「努めて簡明に解説し、読者によるマルクス、レーニンの著作や毛主席の著作学習を手助けし、階級闘争と路線闘争に対する覚悟を高める」ことを目指しているだけあって、議論は呆気ないほどに簡単明瞭、いや粗雑千万だ。つまり、遥かに昔の孔子・孟子や墨子など諸子百家からはじまって董仲舒、王充、韓愈、柳宗元、王安石、朱子、王船山、康有為、譚嗣同、章炳麟、孫文までの哲学思想を、唯心論と素朴唯物論のどちらかに強引に振り分けて問答無用でレッテルを貼る。かくして唯心論者を歴史の進歩を阻むものとクソミソに批判・罵倒する一方、素朴唯物論者は歴史の歯車を前に進ませようしたと大いに賞賛されるという仕組みだ。

 たとえば吉田松陰の思想に大きな影響を与えたといわれる李卓吾(1527~1602年)に対しては、その過激な儒教批判と儒教に反対する法家思想重視の姿勢を大いに称揚し、彼の思想を素朴唯心主義と看做し、「素朴唯物主義思想を武器に戦いを進めた」と高く評価する。

 だが、中国哲学史講話を名乗るものの、この本の狙いは哲学史の講話にではなく、1919年の五四運動を経た後、中国人民は初めて主体的な思想を持ちえたという点にある。それが毛沢東思想ということになる。かくして、この本は五四運動の失敗の中から、「『中国は全く新しい文化の主力軍を生み出した。つまり中国共産党人が導く共産主義の文化思想であり、共産主義の宇宙観と社会革命論である』(毛沢東『新民主主義論』)。これ以後の中国思想史とは、まさに光り耀ける毛沢東思想が勝利から勝利へと向かう歴史である」と結論づけ、最後を「社会主義だけが中国を救うことができる。毛沢東思想だけが中国を救うことができる。これこそが歴史の結論である」と結んでいる。

 「これこそが歴史の結論」とは・・・傲岸不遜。敬して、いや軽して遠ざけたい。《QED》