樋泉克夫教授コラム

川柳>>>>>>>>>>>
《全免費 思考一代 大民主》⇒《国挙げて 寝ても覚めても 文革だ》
*1966年8月、文革開始に当たり共産党が決定した方針は「大鳴・大放・大弁論・大字報」。要するに毛沢東支持の旗さえ掲げておけば、何をしてもご随意に、ということ。これを「大民主」と呼んだ。かくて全国津々浦々に阿鼻叫喚の地獄絵図が・・・。
  【知道中国 664回】           一一・十一・初四

     ――掛け値なし。これこそ正真正銘の革命的大事業です

     『中国殯葬事業 発展報告(2011)』(社会科学文献出版社 2011年)

 表紙には「REPORT ON FUNERAL DEVELOPMENT OF CHINA(2011)」と書名の英語訳が記されている。民生部一零一研究所による「殯葬緑皮書(GREEN BOOK OF FUNERAL)」であり、納められた24本の論文は関連研究機構、大学などの研究者による「中国の葬祭業の発展に関する研究成果」である。果たして、これに類した公式報告書を我が日本政府関係機関が発表しているのかどうかは知らないが、膨大な人口を抱える中国の政府にしてみれば、「殯葬事業」はそれほどまでに切実で重要な問題ということになる。

 単純に数えてみても、目下の13億4000万余の人口はいずれ確実に13億4000万余の死体に変わり、かくて13億4000万回余の葬儀が行われる。1人の墓地に1m×2m=2㎡を要するなら、単純計算して13億4000万×2㎡程の広大な土地が墓地用に必要となる。古来、カネを掛けて贅を尽くした葬儀をすることが死者への最大の供養であり、生きている者の将来に幸運を約束すると信じてきた人たちである。加えるに目下の金満情況だ。財布の重みの勢いのままに大散財。葬儀は豪華絢爛で限度を知らない。ということは、葬儀は将来性のあるビジネスであるが、同時に国土の改造、環境問題に直結する大問題なのだ。

 そこで焦眉の急となった葬儀改革は、2010年を最終年とする第11次五ヶ年計画に組み込まれていた。それも鄧小平理論と江沢民思想、加えるに胡錦濤が提唱する科学的発展観という最高の権威に基づいて。ならば成功間違いなしと思いきや、そうでもないようだ。

 冒頭の「総報告」では、「第11次五ヶ年計画の期間、各地では真剣に葬儀改革の方針が貫徹され、社会主義和解社会建設への側面支援に着目し、経済社会の持続的成長を促し、民生の保障と改善に立脚し、人民の多様化する葬儀への要望を満足させるよう努め、勇気を持って問題を追及し、大胆に実践し、葬儀方式の改革を不断に進め、葬儀サービスの水準を高め、葬送事業の発展を推し進めることで、葬儀改革は新たなる発展をみせる」と総括してみせるものの、失敗を失敗と素直に認めない典型的な共産党式官僚的慣用表現から判断すれば、鄧・江・胡という3代の最高指導者の考えを“連結・合体”させた国家級プロジェクトであるにもかかわらず、やはり葬儀改革は捗々しい進展をみせていないらしい。

 全国で行われる葬儀の20%は依然として土葬であり、しかも地方によっては墓を掘り返した後に洗骨して再度埋葬する二次葬が依然としてみられる。葬儀場職員は処理すべき遺体が多過ぎて疲労困憊だが、待遇は悪く社会的地位も低い。カウンセラーが必要なほどに精神的負担は過重だ。環境と生態系を守るため、「樹葬」「花葬」「草坪葬」「海葬」「壁葬」などを推奨しているが、この種の「生態葬」を拡大するためには公的資金による刺激策が必要だ。「樹葬」「花葬」「草坪葬」とは遺灰を樹や花の根元、花壇、海に撒く方式であり、「壁葬」は壁に設けた空間に骨箱を納める方式。東ヨーロッパなどで行われてきた壁墓地のことだろう。因みに香港の一部では壁墓地が見られるが味気なく、なにより薄気味悪い。

 確実に増え続ける葬儀を環境・生態系に負荷を掛けず、質素で心温まる形にするにはどう対応すべきか。金満中国が招いてしまった葬儀の“先祖返り情況”に対し、この本が「葬儀改革の発展は『千年の旧い因習を改め、新しい生き方を打ち立てる』社会変革だ」と位置づけることは理解できるが、その方法が「振奮精神、一致団結」だけでは甚だ心許ない。伝統の根は深い。やはり葬儀改革も「百年河清を待つ」しかないのかナァ。阿弥陀仏。《QED》